ゲームをやってて自分の心臓の音がトクン…と止まった瞬間を認知できた人はいるだろうか?もしかしたらホラーゲームでびっくりしすぎてしまった時にそういった経験がある人もいるかもしれない。例えば「青鬼」でタンスに隠れた後、青鬼に見つかってしまう瞬間に「うわああああ」となってしまうかもしれない。
だが、自分はホラーゲームで心臓が止まった経験はない。恐怖でパニックになったり心臓がバクバクするだけだ。止まるほどの衝撃を受けたことはない。心音に空白が生まれるような経験はなかった。
そんな自分の心臓を初めて止めたのは「ICO」だった。
とても雰囲気の良い、小さな男の子と少女が手をつないで遺跡を探検するような素敵な物語だ。だけど、心底恐怖を味わったのもこのゲームだった。大切なものが手から零れ落ちそうになる瞬間、冷や汗が一気にダラダラとでて、心臓が止まった経験をした。
- 出版社/メーカー: ソニー・コンピュータエンタテインメント
- 発売日: 2011/09/22
- メディア: Video Game
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ICOで味わう最大の恐怖
ICOのキャッチコピーは「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから」だそうだ。とても素敵だ。基本的に主人公が少女の手を引っ張り、勇猛果敢に古城を脱出するというゲームになっている。ところどころ少女に対する少年の気遣いなどが見られて心が温まる。どちらもまだ大人ではないからたどたどしく、でも手を離さないで冒険する姿はどこか絵本のようで、それだけ感情移入がプレイヤーの中に膨らんでいく。プレイヤー自身がコントローラーの、おそらくR1ボタンだったと思うが、そのボタンを離したくなくなっていくのだ。
だが、探検には時折手を離さなければならない場面が存在する。そしてどこからか謎の黒いもやの人型が冒険を阻む。この黒いもやは、いつでもどこでもランダムに発生するようでたびたび困る羽目になる。戦闘で手間がかかったり、手を放していると黒い靄に少女が連れ去られてしまう。
少女が必死に抗う姿を画面端にとらえたとき、慌ててそちらに向かって助けにいかなくては!という気持ちになる。だが自分も邪魔が入っていたり、簡単にはたどりつけないところにいると、もうどっぷりと感情が入ってしまう。いそげいそげ、必ず助けるんだ!そういう気持ちになる。
さて、自分がどのように心臓が凍る経験をしたのか。それは少女を置いて別な場所に向かった時だ。PS2版でやっていたので、ちょっと画面のロードがあったと思う。そして黒い靄の敵もでないような安全そうな場所だったので、ちょっとぐらい遠くに出て先のステージのギミックを見ておくか…と思い進んでいた。少女を待たせるのはちょっと申し訳ない気もするけど、主人公しか先に行けない場所だったので仕方がなかった。だが、まさか敵が出るわけあるまい。ゲームシステム的にもロードを挟んでいるわけだから、そこで少女を襲う敵が出るなんていうのはありえないだろう。今までのゲームの経験や感覚から安心しきり、ただゲームクリアのことに没頭していた。画面外は描写されないというある種の"お約束"を信じていた。
そんなときだった。遺跡の中は本当に静かで水の音や風の音、そして主人公の足音だけが響いている空間。ときどきふっと力む声などが聞こえるだけ。それなのに、本当に小さな、でもはっきりとした音が聞こえた。少女の本当に小さな「キャッ」という悲鳴が…。そして悲鳴と同時に画面中央の主人公をクローズアップするカメラ。
自分の心臓もそこではっきりと止まるのを感じた。カメラが主人公にクローズアップして、悲鳴が聞こえる演出に心底震えた。もう一瞬で脳内が真っ白になる経験だった。主人公も心臓が止まったに違いない。あれほど遠い場所にいるはずの少女の悲鳴が微かに聞こえたのだから!間違いなく、悲鳴だ。敵だ。あいつらが、少女に危害を加えようとしているんだ…自分がうつつをぬかしている間に。少女は今一人で抗おうとしているんだ…。危険にさらしてしまった!戻らなければ!早く!早く!
もう、コントローラーを持つ手が汗でびっしょりになるほど恐怖した。たかがゲームのはずだ。ロードすればまた始められる。ほっといても十分間に合うはずだ。ゲーム的に大丈夫なことはわかっている。…それでも悲鳴が聞こえてしまった時、一刻も早く守らなければという気持ちに染められた。その瞬間はもはや主人公の心情そのもののように同化していた。
そしてなんとか間に合い、少女を助けることができ、もう自分でいったいいつから呼吸をしてなかったかと思うくらい長い溜息をついた…。よかったあ…。もー過保護といわれようがなんだろうが、二度と手を放したくないと思ってしまった。頼むから傍にいさせてほしい、危ないから…という気持ちだ。ここまでゲームにのめりこんだのは本当に初めてだった。それ以来なるべく目を離さないように気を配り、時々は離れつつも必ず少女を意識の中に入れて機敏に行動し、焦らず、ゲームクリアよりも(!)少女の安全を第一に行動するようになってしまった。
ゲームシステムが自分の感覚に溶け込む瞬間
ICOで味わったのは、ただゲームとして手をつないで攻略するという制約でしかないものが自分にとってなによりも大切なものに変わったという経験だ。それまでゲームで味わっていたのは爽快感だったり、コンプリートするという目的だったり、レベル上げだったりとしたが、ただ守りたいという一心でプレイしたのはICOだけだったと思う。それだけ上質な体験ができた。
最初は毎回手をつながないといけない面倒くささが嫌だった。少女はトロいし、それぐらい登れよ!気合で登れよ!とダンジョン攻略の足手まといにしか感じていなかった。けれど、次第になんだか愛着がわいてきて、ふと周りを見渡すと自然の描写がきれいだ。水も空気もきれいに見える。絵本のようなふわふわとした幻想的な世界。そこで手をつないでがんばる二人の姿にふと、気持ちの変化があった。二人を応援したいという気持ちだ。そうして少女が危機にさらされたとき、守らなければ!という感情に変化した。
ICOは見事なゲームだと思う。もしかするとプレイヤーの感情をどのように整えるかということを考えていたのかもしれない。プレイヤーに対してどのように感じてもらうか。そういったところどころに盛り込まれた親切のようなものに、どっぷり感じ入ることができたのかもしれない。