廃人プレイをしてると現実が面倒になってくる
昔オンラインゲームにとてもハマっていた時期があった。とにかく自由な時間があるとログインして仲間たちと狩り場でおしゃべりしたり。そんなことをやっていると現実での出来事が面倒になってくる。最盛期はトイレに行って戻ってくる時間を測りだして経験値効率を考えだしてしまった。自分の生活時間を最大限オンラインゲームに費やそうとする姿は廃人に見えていただろう。
オンラインゲームへの依存性を測る簡単な方法は、現実での付き合いを厄介なことと感じるかどうかだ。これはゲームにハマり始める前と比べてという条件でだが、友人に誘われてご飯を食べている時にふと「あぁあの狩り場で今頃やってたら経験値が…」と考えだしたら末期だ。自分の思考の大部分がオンラインゲームを背景に生きているという状態は極めてやばい。
自分で最もヤバいと感じたのはメンテナンス時間だ。メンテナンス時間中は一切ログインやフレンドとの会話などもなかったので、ようやくオフラインのゲームができるな…としみじみ喜んだ。…いや、おかしい。いつでもオフラインのゲームをやっていいはずなのに「ようやく」ってなんだ?自分でおかしくって笑っていたけど、振り返ってみると相当な依存度である。まあオンラインゲームが休みの時に据え置きのゲームをやるという時点で引き篭もりゲーマーなんだけれど。
ハマった原因は”人付き合い”
自分がオンラインゲームに重度にハマってしまった原因は”人付き合い”だった。オンラインゲームにはギルドという集団みたいなものがあって、そこに所属してわいわいおしゃべりするのが楽しかった。それぞれゲームが好きだから所属していて、楽しみ方もそれぞれ違うのがいい。年齢も職業もバラバラなのに、だらだらおしゃべりできる。
現実でコミュ障だったとしてもまったく問題にならない。アバターで見た目はコロコロ変えられて、面倒だったら会話をミュートにできる。現実に比べて顔色を窺ったり強制されることがないから居心地がいい。友達だって簡単に作れてしまう。狩り場で戦う仲間を募集してフレンドのボタンを押せば友達が一人増える。コストはほぼゼロだ。
ゲーム自体も好きだったけれど、自分は「遊び人族」なので面白い動作や画面のスクリーンショット、レアアイテム収集とかいろんな人と楽しくおしゃべりのほうが楽しかった。フレンドがレアアイテム収集をがんばっているというなら手伝うし、補給アイテムを届けに行ったりと交流を楽しんでいた。
”卒業”のための目標を自分で設定する
そんな自分だったが生活は荒れに荒れて、頭痛も激しいし周囲から心配されるほどになってしまった。説教される頻度も増えてしまい病みはじめのような状態だった。このままではオンラインゲームに自分の人生が食いつくされてしまう。なんとか自分で依存を克服しなければと思い、できるだけ自分なりにすっきりと”卒業”をめざすことにした。
まずは自分の”卒業”する目標を決めること。オンラインゲームには終わりが一切ない。エンディングが存在しないから永遠に続けられる。とすれば自分で満足する”卒業ライン”をひかなければならない。自分はこれをきりのいいレベルにするということで満足することにした。このレベルが自分にとっての最大であるということで満足すればいい。
次はログイン時間を減らすことだ。このログイン時間を減らすというのは大変に苦痛だったけれども、時間を決めてやるということが大事だった。今までプレイしていた時は挨拶を欠かさなかった。ログインした時は、ログインしました今日もよろしくお願いしますと声をかける。ログアウトするときは、そろそろ落ちますお疲れさまでした。
だけどこの声掛けがよろしくなかった。絡んでくる人が多いのである。自分の所属しているギルドでは交流がメインだったこともあり会話が途切れない。いつまでたってもログアウトできないのだ。自分の意志を最大限に使って今日はこのへんで…とご機嫌を損ねずに…というなぜか気遣いをしていた。なんかもう現実よりも非常に面倒なことをしていたような気がする。ある意味早く呑み会から帰りたいのに上司にねちっこく絡まれる人みたいな感じである。
これに対する対策は簡単。挨拶を一切せず、無常にログインログアウトをするだけ。人の都合なんか気にせずに自分の都合を最優先すること。終わる時間を決めているならその時間にぴったりやめればいい。そうすると相手もそのリズムを把握してくれるし、自分の伝え方も変わる。現実と違い呼び止めることはできないので実施しようと思えばかなり楽だ。
そうしていると会話量も徐々に少なく抑えることができ、自分がやっている”ゲーム要素”にしっかり集中して楽しむことができる。そこを十分楽しんだら、卒業。ああ、いいゲームだったと自分なりに感想を心の内に抱いて終わり。もちろん卒業しますとフレンドには言わないでおく。言うとレアアイテム頂戴とクレクレをされるだけだし、それはゲームではないので時間を割くのはやめた。
”卒業”から得られたもの
こうしてオンラインゲームを卒業した。この経験は自分にとってかなり良いもので、自分が”なぜゲームをやりたいのか”ということを非常に考えるきっかけとなった。オンラインゲームの戦闘というのは効率などを優先してあまり楽しくなくなっていくのに、どこか続けてしまっている。自分にとって何が楽しいのかをきちんと感じること、そしてハマりだしたとき、当初の目的を見失ってないかを問いかけることをしている。
例えば三国無双の新作が出たとき、欲しくなって買いたいと思う気持ちを確かめる。自分にとって買いたいと思う理由を挙げると、キャラクターのアクションが楽しく爽快感がある、ストーリーを確かめたい、強いアイテムが欲しい、いい音楽を聴きたいぐらいだ。これを確かめた後、実際にプレイしてみて最初に買いたかった理由を十分達成できているかを確認する。
どういう風に楽しいかを自分なりにレビューしながらプレイしている感じだ。そうして自分が使っている時間をああ、こういう風に楽しく過ごせましたと自分に保証している。ちょっと面倒かもしれないけれど、ただ茫然とゲームが楽しかった、つまらなかっただけだと味がぼけているように思ってしまう。ゲームをしたという体験をできる限り自分の中に残そうとしている作業だと思っている。
これはブログを書き始める以前からやっていることで、なんというかゲームに対する感謝みたいなものかもしれない。ゲームを最大限楽しんで、自分の中に何か残ったものをゲームに対してありがとうと心の中だけで伝えているような感じだ。料理がおいしかった時、料理長に心の中でありがとうという感謝を伝えるようなものかもしれない。