かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

読書が好きになったきっかけは齋藤孝の「三色ボールペンで読む日本語」だった。

 

読書に対する”姿勢”を変化させて壁を破ってくれる本

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

 

自分がこれほど読書が好きになったきっかけは間違いなく「三色ボールペン」のおかげだ。当時は世界一受けたい授業が流行っていて、齋藤先生の回はかかさず見ていた。段取り力、質問力、読書力…それぞれ表紙もきれいで、全て本棚にある。○○力という本が爆発的に増えるきっかけとなったのではないかと思う。ともかく、三色ボールペンを使った読み方はある意味自分の読書に対する壁を破ってくれた。

 

第一の壁:本に線を引くという抵抗感

三色ボールペンによる読書方法を簡単に説明すると、非常に重要で絶対にはずせない文章に赤い線を引く自分が重要だと思ったもの、あると読解に役立つものに青い線を引く。最後に自分が面白いと思った文章に緑色の線を引く

 

たったこれだけだ。だがこの読書法のハードルは高いはずだ。まず本に線を引くということがまず難しいけれど「三色ボールペンで読む日本語」という本、それ自身が線を引いて楽しんでほしいと書いてある。おまけに三色ボールペンがくっついてた気がする。齋藤先生が厳選して選び抜いた名文がいくつも並んでいるから、思わず自分も線を引きたくなってくる。ああ、線を引いて読んでもいいんだなと思えると読書への壁がひとつ破られる気がする。

 

そして、強力なものがある。それは書いたら消せないということだ。これは悪い意味に感じるかもしれないがそうではない。齋藤先生は”読書には緊張感が必要なのだ”と主張している。作者の主張と向き合い、決して誤ったところに線をひかないように、一度にぴしっと線を引く度胸が居る。それには本に呑まれないようにする心がいる。初めから「この本の内容を要約するできる気がしません!」と言って読む人がいるだろうか?

だが、多くはそんな感じで無意識にぼんやりと読んでしまっている。本を読むという動機すら理解していない人もいる。そういう人がボールペンを持ち、本に向かってただ一度だけの線を、絶対に外せない線を引くこと。間違ったところに線を引いてしまえば、自分が誤った理解をしてしまったことに他ならない。だとすれば真剣に作者の主張を読み解こうとする。こうした真剣な姿勢を初めてとってみて、一冊書き終えてみたときふと「ふぅ…」と息をつくはずだ。そのとき初めて気づくだろう、普段の読書に対する自分の姿勢を。一度でいいから真剣に向かい合った時、読書に対する意識が劇的に変化する。

 

第二の壁:どれも重要で線をたくさん引いてしまうから真っ赤に

三色ボールペンでの読書は奥深く、そして読書がいかに難しいかを教えてくれる。まず赤い線。本の中でも語られているが、下手な人ほど赤い線ばかりになってしまう。それは本を要約する力がないことに等しい。はっきりと自分が下手なんだと視覚を通じて教えられてしまう。そう、教師なんていなくても三色ボールペンの色付けだけで自分がうまく要約できたかわかってしまうのだ。それは自分の中に読書する、本をきちんと読もうとする心を育むことに等しい。

とはいえ本書の中では辛辣に”これは読む力がなくなった日本人のためのリハビリ”なんて書かれていた気がする。少し辛い気持ちになるが、先生がお手本の”赤”を教えてくれる。この文章だけは絶対に外せない、ここに赤い線を引くのではなく、青い線にしましょうと言った形に。

この赤い線が自分の中でしっかりとわかるようになったとき、確かに国語の文章題なんかでも作者の主張は何か?ということや感想文を書くときに本当に役に立つ。なんとなく曖昧に読んでいるともう一度思い出したり探すために読み直すことになる。だが、読み直す必要があるということは、結局文章というものを読んでいないのだ。だが、線を引くということによって文字の羅列から”作者の主張”という明確な文章を浮かび上がらせる。

 

第三の壁:文章を切り捨てたくない甘えから真っ青に

だんだん赤い線を外さなくなってくると今度は青い線が増えてしまう。”なんとなく”重要そうだから…と思っていると本が真っ青になってしまうのだ。これは自分の中できちんと本の情報を”切り捨てられていない”証拠になる。やはり要約が足りていないのだ。重要な情報を要約するときに、余計な情報を加えてしまっている。要らないおせっかいみたいな文章を付け加えてしまうのは編集の能力がないのだ。

きちんと大事な部分を伝えるのならばピントを絞り、情報を削らなければ主張がぼやけてしまう。たくさん引けば”とりあえず安心”という心を捨てるステップが必要なのだ。それは本が好きで好きでしょうがない人にも当てはまる。例え好きだったとしても、著者の大切な主張の要約の為に、不安でもバッサリと切り捨てる勇気が必要だ。

そうして青い線をきちんと引けるようになると、自分の中で文章を読む心が育っていることを実感できる。本の中で赤い線がきちんと1ページに1つほどしっかり存在し、その周りに2~3つ青い線がその主張を支える。それらが全体にわたって引かれているならば自分の中で本が読めたということになる。

 

読書の楽しさを知るための緑

さらに緑色の線がある。これはもう自由にたくさん引いてもいい線になっている。本当に自分が面白いと思っているなら緑色ばかりになってもいい。だから緑色が引ける部分を探して楽しく文章を探し回れる。そうして緑色をたくさん集めると、自分の中で素敵な表現として記憶される。ただ文字を眺めるよりも自分できちんと線を引いたときのほうが記憶に残るからだ。あとで読み返してもたくさんの緑の線があれば、ああ楽しく読めたんだなとわかる。もちろん面白い文章だけを選りすぐってもいい。緑は読む人にゆだねられた線。赤と青は著者の意を汲み取る線なのだ。

 

 

そうして三色ボールペン読書を続けると面白いのは自分の成長の跡にもなるという点だ。子供だった頃に引いた線を後から見てみるとまったく違うなあと感じたりする。自分の中での主義主張の変化がそこに存在するのだ。自分の読書の目が肥えたり、精神的な成長によって読書の際に引く線が変わっていく。本そのものが読書記録になるのだ。だから、同じ本を買ってもいい。中古で本を買ってもいい。たくさん線を引いて読書する楽しさがそこにある。

また新しい線が引いてみたい、もっと素敵な文章を読みたい。もっと三色ボールペンのインクを減らしてみたい。でも、それぞれのインクをきちんと平均的に使わなければ。そんな感じで読書を続けるだけで自然と「読書力」が養われる。今でも自分の読書の原点は間違いなく「三色ボールペン」式なのだ。

 

…ちなみに本文が白黒なのはちょっとした遊びである。普段は色を使うのだけれど、今回は読者さんにゆだねるということで、太字の強調だけにしてみましたとさ。

  

読書力 (岩波新書)

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