かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

中学生のころ、田舎に泊まった時は時間の流れがずっと遅かった気がした。

 

ぼくのなつやすみ

中学生のころ、おばあちゃんの家に泊まりに行ったことがある。とても長く、いくつも山を越えた先だ。若者はおろかコンビニすら存在しないド田舎だ。田んぼはそこらじゅうにあるし、飛んでくる虫は都会とはサイズが二回りほど違ってびっくりする。そこらじゅうが錆びついていたり、古いものを長く大切に使ってる雰囲気がわびさびを感じさせてくれて好きだった。

夏休みの課題を持ち込みつつ豊かな自然に囲まれての生活はとても新鮮だった。田舎の人たちは朝が非常に早く、水が冷たくてごはんがなんだかおいしい。そして夜寝るのがすさまじいほど早い。あっという間に町から明かりが消えていく。

 

こうして寝食を共にしていると生活リズムが非常に整えられてしまった。夜は基本的にやることがない。だらだらしゃべっていてもいいのだけれど、自然と眠気が出てきて9時にはそろそろ寝ようかなという気持ちになる。そうすると朝は6時、7時に目が覚めて朝ごはんの準備を手伝ってしまった。朝に鳥が鳴いて明るくなると体が自然と起きだす。

普段家で過ごしているときは11時くらいまでテレビを見たりしていたのに、田舎ではテレビが全然魅力に感じなかった。なぜかテレビだけはゴージャスに大きかったのだけれど、あんまり見ても楽しくなかった。たぶん外がすごく静かすぎたせいかもしれない。ほたるや鈴虫がリンリンと鳴いて、乾いた夏の空気のほうが魅力的だったのだろうか。

 

充実が体感時間を遅くするのか

田舎の人たちはすごく気前がいい。ご近所にごあいさつに回ってみると盛んにとれたての野菜を食え!と押し付けられる。これが非常においしくて、山盛り出された料理を大人が挨拶してる中で無心に食べて空にしてしまったこともあった。それを見てガハハと笑って気に入ったのならもっと持ってけ!といって同じ量を持って帰って夕飯になったこともあった。最高のごちそうを手にもって、夏の乾いた空気を感じつつ、誰も通っていない道路のど真ん中をスキップしながら帰るのは本当に楽しかった。

 

きっとテレビがつまらなかったのは、それにもまして日中の楽しい時間が自分を満足させてくれたからだ。朝にすっきり目が覚めて、ラジオ体操なんかしちゃって、朝ごはんをみんなでわいわい食べて、昼頃には農作業手伝ったり、夏休みの課題をやって。夜にもわいわいちょっと豪華に食べたり、だらだらおしゃべりしてすっきりお風呂。その繰り返しが退屈じゃなくて、普段テレビで埋めてたものが足りていたのかもしれない。

 

これだけたくさんのことを全力でやっていたのに、まだまだ時間があると感じていた。今まで12時まであっても足りていないと思っていた時間が、ただ田舎で朝早く起きて夜早く寝る生活になっただけでずいぶん時間があるように感じられた。ついこの記事も22:45くらいまで書いてしまっているのだけれど、きっと朝早く起きて夜早く寝る生活ができたらもっと充実した一日になるのかもしれない。

 

おわりに

田舎と違って町が明るく人も店も夜遅くまでずっと忙しいと、その忙しさに体を合わせる必要があるのかもしれない。忙しさというものに体を慣らされてしまっているのか。自分が過ごした中学生の夏は、ゆったりとした時間に体がほぐれていった気がする。誰もが早く起きて早く寝る生活が当たり前の環境だったことが大きいと思う。だれも12時に起きている人はいない。信号だって眠っちゃってるようなものだ。もしかすると健康というのは環境にも影響されるのかもしれない。