かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

何を書くか悩んでいる時間がもったいない。ジャーナリングをやってみよう。

 

何かをとにかく書き始めるという大切さ

何を書くか迷っている時間というのは案外長いものだ。何かいいアイディアがないか探し回ってしまうのだけれど、一度書き始めたほうが実は早く書き終えることができる。自分もブログを更新していてしみじみ思うことなのだけれども、0を1に変える作業は本当につらいものだ。だが、何か0.1くらい書きかけたものや下書きから徐々にスピードをつけて形作っていくとうまくいく。

 

よくタスクは分割して、細かいタスクを片付けようと言うことや勉強をするにはまずは簡単な席に座るということから始めたほうがいいとよく聞く。そうして1分だけ書いてみようと心に決めて書き始める。そうすると思ったよりも長い時間かけるのだとか。

 

なんでもいいから書き始めるというのはハードルが高いように見えるのだけれども、書き始めというのは大体は良いものは生まれにくい。まるでずっと動かしてなかったエアコンのように最初はホコリだとかでいい空気が流れてこない。だからまずは一度動かして空気を入れ替えてあげることが必要だ。最初はきれいじゃないものを吐き出すことを心がけてもいいかもしれない。

 

ジャーナリングがもたらす強力な結果

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ジャーナリングという技術がある。これを簡単に解説しているサイトがあったので引用する。

ジャーナリングとは、思いつくことを思いつくままに、5分間~10分間、連続してひたすらノートや紙に書き出すワークのことです。
思いつくことを思いつくままに書き記すことで、悲しみや喪失感や怒りといったありとあらゆる感情のもつれを解きほぐすことができます。

とにかく思いつくまま書き連ねればいい。なんでもいいから自分の考えを紙やPCの画面に向かって打ち込むのだ。メンドクサイだとかこういったことは昔から興味がないとか。なんでもいいから書いていく。すると驚くような効果が得られるらしい。

テキサス大学のペンベイカー教授の研究によると、様々な心理学的な指数やストレス指数が、ジャーナリングによって改善することが分かっています。
ペンベイカー教授のある研究では、失業した人たち(知的労働者)を対象にして、5日連続、毎日20分間のジャーナリングをしてもらい、その後8ヶ月間、追跡調査しました。
同時に、同じような失業者(知的労働者)でジャーナリングしなかった人たちも、同じ8ヶ月間、追跡調査しました。
その結果として、8ヶ月後、ジャーナリングを5日間した人たちの就職率が、しなかった人たちよりも40%も高いことが判明したのです。

ということで、ただ自分と向き合う時間を増やし、その想いをきちんと紙に書いて自分自身に確認させる習慣をつけるだけで被験者に大きな影響をもたらすことがわかったのだ。

 

何かものを書くときや新しいことを始めようというときはまずはやってみることだ。やるための障壁をなるべく下げてあげて、そのうえで”ただひたすらに動く”ということが意味を持つのだと理解する。その後に振り返ってやったことを確認して自分の糧にする。そうすれば改善のきっかけにもなるし、新しい発見があるかもしれない。

 

悩み事の答えは自分自身の中にあるのか?

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慣用句かなにかわからないが、誰かから相談を受けても自分で答えを教えてあげようとしてはいけないという言葉があった。それは相談している人が相談しているうちに勝手に答えをだすからだ。相談相手に話しているうちに考えが整理されていき自分の答えに結び付いていく。だからむやみやたらに「こうしたら?」と提案するのはあまり求められていない事なのだ。ただ相手は悩みを打ち明けたいだけなのかもしれない。

 

next49.hatenadiary.jp

何の本か記事で読んだのか忘れたけど、どこかの計算機システムの相談窓口にはクマのぬいぐるみが置かれていて、窓口に相談に来た人は必ずクマのぬいぐるみに相談内容を説明しなくてはならないという規則を定め絵たそうな。そうすると、多くの相談者は、クマのぬいぐるみに話しかけているうちに自分自身で解決方法が分かり納得して帰っていたとのこと

上記記事にもあるように、クマのぬいぐるみに話すのも効果的なのかもしれない。同じような効果をジャーナリングも生むはずだ。どちらも大切なのは自分の考えを客観的にとらえることだ。クマのぬいぐるみに話すときには自分の声として外に出し、その声を耳でもう一度自分の中に取り入れる。その声によって自分の考えを整理する…。

 

紙に書いても同じことはできるのかもしれない。自分の考えや悩み事をなんでもいいから書いていき、そうして紙に書かれた内容を眼でとらえて自分の内側に取り込むのだ。だから何もアイディアがない状態でも自分の悩んでいることや考えていることを気軽に書いていったほうがよい。

 

何もない状態で何もできない!とパニックにならないように、ただどうしようかわかっていない、なぜならばここ数日は…という説明を自分自身に向けて書いてもいい。そうして文章を読んでみるとなぜ説明口調なんだ…?誰かに罪悪感を持っているのか…?どういう気持ちなのか…どうしてやれないのか…など徐々に問題に取り組む姿勢も出てくるはずだ。

 

おわりに

まっしろな紙を目の前にして、期日が迫っていると猛烈に後悔すると思うのだが、まずはメモ書きでも単語の羅列でもよいからとにかく書いてみると良いと思う。この記事も勢いで実は書いている。何も書くものがないからまずは一行自分はこういう場合にどうやって突破するか…ということを書いていた。

これは苦し紛れだが、少し面白い経験になった。気が付くとジャーナリングという技術を記憶の中から掘り出して、次第に苦しいときにどう書いていくべきかをメモ書きのように自分宛てのように書いていた。いつのまにか記事の方向性がキーボードを打ち込んでいる間に決まっていき、資料を検索して貼り付けて気がつけば体裁が整ったように思う。

自分自身ジャーナリングを試してその効果に救われたというわけだ。これからも困ったら何か気持ちを書き綴ってみることから始めてみようと思う。どうにも最初に書き始めるときというのはカッコよく書こうとか、なるべく手直しが少ないようにびしっと決めたい…という気持ちが強く出てしまうことが多いのだけれども、最初に書き始める文章というのは出だしということで書き捨てることを心がけたほうがいいかもしれない。大事なのはいったん書き始めて、そのスピードに乗ることだと思う。