かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

歌に心を重ねる気持ち

 

歌が人を救うなんて絶対ウソだと信じていた

昔は歌を聞いて泣いたとか感動したなんてことをまったく信じていなかったし、そんなことに憧れもしなかった。大人たちは歌が世界をつなぐ、愛がどうたらと言っているが歌にそんな力なんてないと思っていた。自分がつらいときや勇気が欲しいときに聞いたって自分の助けになんかちっともなってくれなかったからだ。

 

 

そんな風に子供の頃は歌に対して期待も夢もまったくもっておらず、大人たちはウソばっかりだと信じていた。けれどある時、カラオケで歌った時にふと感情的に、自分の気持ちをぶちまけるように歌おうとして気づいた。その曲のことがずっとずっと自分の心に響いてくることに。

 

自分の好きなフレーズをその気持ちに合わせていろんな思い出を重ねて歌ってみると驚くほど胸の中がすっきりする。自分のイライラや鬱屈とした気持ちを歌が代わりに代弁してくれたようにすら感じた。なんていうか誰にもわかってもらえない気持ちとか、自分の中でもわからない気持ちというのが歌詞というものに当てはまり、それに納得するような気持ち。

 

自分の好きな湿っぽい歌詞の曲を選んで歌ってみたけれど、気持ちを込めて歌おうとすると歌詞がつらくなってくる。自分で言いたくないと思っていることも歌詞だから歌わなきゃいけない。それがなんだかすっきりもするし、ちょっと泣けてくる。

 

それで初めて歌って言うのが人を救うみたいなことが分かった気がした。そういった個人の伝えられない気持ちとかあやふやなものに対して、歌詞という力で引き出すことができたり勇気づけることができる。

 

その歌をどういうメッセージとして受け取るかということ

歌詞というのはただの文字情報なわけで、単なる単語や語句の組み合わせに過ぎない。けれどもそれを自分の気持ちとして、声として出してみることでその歌詞がまるで自分が言ったかのように錯覚される。自分の気持ちを思いっきり出したかのように思える。それこそが歌の力なのかもしれない。

 

だから好きな曲なんかのフレーズを口ずさんだりすることはすごい効果があるんだなとも思う。それが自分自身の言葉としてしみこむようなもの。それがきっと歌が人生の助けになるみたいなことなんだと思う。歌は聞くだけじゃなく、歌うことでも勇気づけられる。自分で好きになって、それを頭の中で繰り返すだけでもきっと助けになったりするのかもしれない。そんな風に気づくことができた。

 

 

歌には楽しみ方が色々あって、歌っている本人たちが自分たちに向けてのメッセージとして受け取る方法。これが一番オーソドックスだと思う。そしてその歌を自分で歌ってみて、自分自身で聞く方法。これもすごい強力な効果を生んでいると思う。ちょっとした自己暗示のようなもの。最後は本当に自分自身が他者にむかって思いっきりメッセージとして歌う方法。それぞれに意味合いが異なるんだろうなと思う。

 

誰かのために歌われた曲、自分の為に自分を歌う曲、自分が他人のために歌う曲。どれも素敵なものだ。受け取るだけじゃなく、自分で伝えようとしてその難しさや気持ちの籠め方なんかに気付くこともあった。気づくことができて良かったなあと思う。

 

おわりに

世間で流行っている曲を聴いて感動して泣いてしまったなんて言う人はよっぽど感受性が高いんだろうと感心していたけれど、その気持ちを味わうことはあるまいと思っていた。そうしたほうが大人っぽいと思っていたということもちらっとあるかもしれない。

 

世の中作る側とかやってみる側に立ってみると初めて気づくことがよくあるけれど、歌についても全く同じだと思う。ついつい自分には歌えないから聴くのが専門と思ってしまうけど、お風呂場なんかで好き勝手歌ってみれば楽しいモノ。そこに自分の感情をぶちまけて調子外れに歌っても十分に効果があってとってもいい。

 

歌の調子なんか聴く人が自分なら別に構いはしなくって、そこに籠められたメッセージを自分のなかで本物にするために歌うんだー!という感じだ。歌うことはストレス解消にもいいらしいし何より楽しい。音楽は音を楽しむもの。聴くことを楽しんだり、歌うことを楽しんだり。音を楽しむということに方法は無限大なのかもしれない。