かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

心身相関という単語についてずっと考えている。

 

保健体育で習った、”心身相関”

body-thinking.com

昔、保健体育の教科書に「心身相関」という単語が載っていた。心身相関というのは文字通り、心と身体は互いに関係があるよということ。心が身体に対して影響を及ぼすことがあれば、逆もまた然り。身体から心への影響もありうる。

 

上記の記事の言葉が大変良かったので引用したい。

私たちのこころもからだも常に変化していて、固定したものではありません。生きるということは変化するということ。ついさっきまで悲しんでいたかと思うともう笑っているし、それに伴って身体の状態も必ず変化します。

身体の状態も刻々と変わっています。昨日の体調と今日の体調が違うのはもちろん、筋肉が緊張したり緩んだり、心臓は常に動きながら速くなったり遅くなったり、胃腸の状態もどんどん変化します。そして、身体の状態がよいと気分もよくなるなど、身体の変化は心の変化を伴います。

ここでまあ、疑問になるのだが身体が健康であればあるほど精神はとても健康になりうるだろうか?とてもそうは思えない。ある程度健康な人々でもよく怒っている人や逆に朗らかで落ち着きがある人もいる。それらは全て身体の健康のみで語られるものなのだろうか。

 

半分ジョークで怒っている人はカルシウムが足りないとよく言うけれど、実際どうなのだろう。そんな風にこの心身相関を学んだ時から考えていた。我々は精神だけで生きているわけでもないし、身体だけで生きているわけでもない。

 

じぶん・この不思議な存在

自分の身体とは何か。心とは何だろうかというのを叩きつけてきたのが「じぶん・この不思議な存在」との出会いだ。特に印象的で今でも覚えている内容が、自分という境界線を人はあまり意識していないんだよということ。

 

例えば髪の毛が一本抜けて目の前に落ちたとする。はたしてそれは”自分”か?という話だ。さて、ここから話はもっとグロくなっていく。だんだんと自分の身の毛がよだつような自分という存在にメスを入れるような作業に入る。

 

自分の腕を一本取り外したとする。さてその腕は”自分”か?…想像するとだんだん嫌になってきたはずだ。じゃあ、胴体を真っ二つに割ったときの片割れはどっちか。たいやきの頭からと尻尾から食べるという議論がだんだん笑えなくなってくる。自分という存在はいったいどこから自分なんだ?それはいったい何で判断されているんだ?

 

脳だけが自分であるとするならば、じゃあ移植したらそれは自分になるのか。…果てしなく嫌な気持ちになったはずだ。友人の家を勝手に使うような気分になり、それは自分の所有物のようには感じないだろう。まあ慣れれば馴染むのかもしれないが…。

 

逆に脳だけどこかに移したとき、肉体は自分ではないのか。難しい気持ちになるはずだ。しかし言い切ってもいいのかも難しい。今、思考している自分とはいったい何者か。そしてその自分はどこまで同一性を保てるだろうか?

 

例えば脳を完全にコピーしてもう一つ作ったら、それもまた自分なのか?はたまた身体を完全にクローンしたら?全身を機械にしたら…話せばきりがない。なんだか漫画やゲームなどでよく見る話だと思うのならば、それだけきっと深いテーマであり描き甲斐があるということなんだろう。

 

心と精神と肉体

どこかで見た議論だが、肉体を捨てて人が電子化してしまったら人はそんなに長くは活きられないだろうと言っていた気がする。我々はよくもわるくも身体という”鼓動”によって精神的な”鼓動”があるのだと。その鼓動がなくなったら我々は死んだも同然であるという、いささか文学的なような、実は本質的かもしれない意見だ。

 

 植物人間という例もあるし、我々は本当に精神だけで生きていけるのだろうか。無意識というものは実は肉体が持つ精神であり、肉体が失われたときに無意識も死ぬのではないかなんていう意見もある。本当なのだろうか。

 

話を戻すが、自分が自分だと境界を認識できるのは肉体があるおかげともいえるのかもしれない。肉体という檻によって他者と明確に空間や物質を隔てて違うと言い切れる。逆にどんどん肉体が切り刻まれ、分解されていったときに自意識というものはどんどん失われてしまい、自分の境界そのものを失ってしまうのではないか。

 

そう考えると心身相関という言葉は人間そのものの本質を表しているのではないか、そしてAIや今後もし電脳化などが進んだとき、心身相関という言葉の重みはものすごく増していくんじゃないかと思っている。

 

おわりに

もとは保健体育で習った単語でそれほど重要視されていないものでテストにもまったくでなかったのだけれど、気が付くと何年もずーっと覚えてしまっている。人生のいろんな場面でなんとなく心身相関という言葉を当てはめていたりした。テストに出ない単語を覚えていて、それがなんとなく人生に役立っているというのはなかなか面白い。これからも心身相関については考えていきたい。