かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

割れ窓理論とおせっかいの悩みについて。

 

割れ窓理論を防ぐボランティア?

例えば大学の手洗い場がびちゃびちゃに濡れていたとしよう。すぐ近くに拭くものがあったとする。これを自分が拭くべきかどうか。もしくはゴミ箱から溢れてしまったゴミとか空き缶の類を自分で拾って入れるべきだろうか。

 

昔は自分が良いことをしている、社会貢献している、ボランティアの気持ちでキレイにしたり、ゴミを拾って持ち帰って捨てていたりした。そうすることで周囲の人が不快な気分にならず、心地よい気持ちで一日を過ごせるはずだと。自分もいいことをしたし、周囲もよい気持ちになるはずだと。

 

matome.naver.jp

更に言うならば割れ窓理論を防ぐためでもある。割れ窓理論とは、小さな一つの窓が割れたまま放置されていると泥棒がそれを見て「この建物はセキュリティ意識が低い」とみなし犯罪が行われやすくなるという理論。軽微な問題を放置してしまうことで、より大きな問題が起きやすくなってしまう。

 

「建物のが壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある

割れ窓理論 - Wikipedia

 

軽微な問題の塊の裏には大きな問題が潜む?

こうした割れ窓理論は様々な場所で同じように当てはめることができる。学校、職場、公共施設…。そのため一見関係のなさそうなトイレの衛生や部屋の清潔さなどがゆるみにつながってしまい、より重大な事故が起きてしまうかもしれない。

 

www.infraexpert.com

こうしたささいなことを放置すればするほど重大な事故につながりかねない、というのはヒヤリハットハインリッヒの法則に由来する。

 

ハインリッヒの法則(ハインリッヒのほうそく、Heinrich's law)は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。「ハインリッヒの災害トライアングル定理」または「傷害四角錐」とも呼ばれる。

ハインリッヒの法則 - Wikipedia

最近見たなかでかなり軽微な事故というか、重大な事故だと思われるのは飛行機での喫煙問題だろう。

www3.nhk.or.jp

過去には死亡する例や大きな被害をこうむった例がいくつかある。

1973年にはフランスの上空でブラジルの航空会社の旅客機がトイレ付近から火が出たため不時着し、乗客乗員合わせて100人以上が死亡しました。出火原因の一つとして、乗客のたばこの不始末が指摘されています。

また、平成14年には韓国のインチョン発、関西空港行きの日本航空機で飛行中に客室後部のトイレから煙が出て緊急着陸しました。乗客乗員にけがはありませんでしたが、トイレのゴミ箱からたばこの吸い殻が見つかったことから、乗客の喫煙が原因と見られています。

このほか平成22年には、アメリカの国内線の旅客機でトイレで喫煙していたと見られる男性が航空保安官にとがめられ、「靴に火をつけようとした」と冗談交じりに話したため、戦闘機2機が緊急発進する騒ぎになりました。

すでにこうしたトイレでの喫煙問題は年間100~150件起きているということで、もうそろそろ重大な事件が起きてもおかしくない。こうした状況が放置されている中で問題が起きていないほうが奇跡と考えたほうが良いだろう。

 

手出し無用なのだろうか

では、トイレに捨ててある煙草の火をもみ消すべきなのだろうか?様々な問題が見つかり次第、無関係でも自分で処理するべきだろうか。答えはNoだろう。なぜなら問題を起こした当人に問題意識がないためである。だから何度も何度も繰り返されてしまうし、挙句の果てにはエスカレートしてしまうことだってある。今までやっても問題はなかったと思いこまれてしまうからだ。

 

だから公衆の場や落ちてる空き缶などはよほど危険ではない限り自分の手で何かすることはやめた。誰か施設管理者などが声を上げ取り締まらない限り本当の効果にはなりえないと思っている。もちろん性善説を信じるならば、毎日ピッカピカにしている施設ならば汚そうという気持ちは起きなくなるはずである。

 

ところがまあ、本人が本当に罪悪感や意識がまったくなければ困ったものだ。罪の意識がないのだから反省なんてしないわけで、ピカピカに磨く人たちが浮かばれない。だから割れ窓を見つけたら自分で修復したり、自分でガラスを交換するのではなく警察や施設管理者に届けるのが筋かもしれない。

 

確かにボランティアというのは素晴らしいしゴミ拾いも大変立派なものだけども、本質的な問題を隠してしまわないかという考えもちょっとは必要だろうと思う。もちろんいったん綺麗にしたうえで対策を打ち出すのならば問題はないはずだ。

 

おわりに

以前に書いたけど、結局は人の仕事を奪ってはいけないなんてことに似ている気がする。

kayanomi.hatenablog.com

ボランティア精神は大変立派だし、清潔に保つのが好きならば気分もよくなる。自分が使う場所でもあるからなおさらだ。来た時よりもきれいにとは幼稚園の遠足ぐらいから習うのではないだろうか。

 

とはいえ人間、”やってくれる人”がいるとつい甘えてしまうものだ。それはもしかすると環境も同じかもしれない。それに加えて”みんなやってる”なんて意識もついてしまうと習慣化してしまうことになり、より困難になってしまう。

 

一度はいいと思っているけれども、果たしてそれは本当に良いことだったのか。少し一歩引いて全体を冷静に見れるようになるといいかもしれない。とはいえすぐには難しいし、すべてが終わった後で一歩引いてみたときに初めて分かることも多いから難しいものだ。