肉体以外にも休みが必要
筋肉痛は酷いモノでない限りは筋肉の超回復を示しているものと言われている。これから筋肉が一回り大きくなる、そのための痛みとして捉えられる。じゃあ勉強だったり、趣味のことだったり。そういった脳の活動が主なものには筋肉痛なんてないのにどうやって身についた、成長したってわかるのだろうか。
最近思うのだが、忙しいときにさらに忙しく、体力が限界の時にさらに限界を超えて趣味や脳みそを酷使するような勉強は身体に毒だなと思う。なぜか脳は疲労しない、知識はいくらでも詰め込める、文章を読むことなんていつでもできると思いがちなのだけれども。
それでも人間不思議なもので休んでいる時、ちゃんと休めた時にすっと飲み込める。水泳のようにひたすらに溺れてばしゃばしゃやっているうちは泳ぎ方なんて身につかない。まず疲れたら息を整えて、ちゃんと教えを反芻したうえでやる。同じように趣味でもなんでも脳にだってきっと休みが必要な時はある。
いいアイディアは休みの時間に生まれるように、体の成長と同じく心の成長や知性の成長にもきっと休みが必要なのだと思う。心が痛いとき、過酷な時に休まなきゃいけないのはそういう理由があるのかもしれない。涙の数だけ強くなれるというのは泣き続けた後、お水を飲んだりしっかり呼吸を整えたうえでだ。ずっと泣いてちゃ疲れて弱くなってしまう。
おわりに
最近は文章を書く量がかなり減った。一時期は4000、5000文字と書けていたけれどめっきり減っている。これはやる気がなくなったとか疲れた…ではなくて、たぶん休憩みたいなものである。少し文章に書ける時間や手間を抑え気味にしている。
特に誰から押し付けられることもないので、少しペースを落としてジョギングから歩きに変えて休み休み続けていこうと思う。目標なんかもないけれど、歩くことが好きな自分、歩くことでいろんな景色が見えることが楽しいのと同じように。
ただ怪我だけはしないように心掛けたい。となればストレッチ…は文章で言ったらなんだろう?…下書きとかメモとかそういったものだろうか。ぼちぼち続けていきたい。