読点は視覚的なサポートではないか
文章を書いていると読点をどの程度打てばいいのかは間違いなく悩む。どうすれば読みやすいのか、どういったルールがあるのか。そういったものを一度は考えてしまうはずだ。自分でもまだわかってはいないけれど、ある程度ルールは決めている。
自分が読点を打ちたくなるのは、ひらがなが長く続いた時だ。←の文章では「は」と「ひ」が続いてしまっているので読みづらい。そのため読点を打ってアシストしている感じだ。できるかぎり漢字をときおり挟むことで、ある程度読点がなくても区切りが付くと思っている。
とはいえ漢字ばかりでも読みづらくなってしまうので適度にしなければならない。まだまだ自分でも未熟だと思っている。特に漢字にしなくても良いところ、悪いところの区別がついてないので…。←は「特に」は「とくに」でもよいかもしれないし、「良い」は「よい」かもしれない。
自分にとっての読点の役目はあくまで読む人のアシストでしかない。だいたいは視覚効果なんじゃないかと思っている。するっと読めればあまり読点を使わなくてもよいと思っている。なぜなら人間はだいたいの文章を補完して読んでいるからだ。これはハーバード大の研究結果で一度は目にしているかもしれない。
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この文書は最初と最後があっていれば人間が自動的に単語を補完できることを示している。だから誤字脱字はなかなか見つけづらいのかもしれない。それはともかく、人間にはもう一つ補完の能力があると思う。それは一般化された慣用句の自動補完だ。
上の文章で「だから誤字脱字はなかなか見つけづらいのかもしれない」と書いたけれど、おそらく多くの人が実際に読んだのは ”…のかも” くらいだと思う。そこから先につながるのは ”かもしれない” で決まるからだ。
もしくは文脈的にわかりきっていたかもしれない。 ~を示す という文章の次に だから とくれば、前の文章から導かれるものを書いているのは自明だ。そんな風に人間は高度に類推して実際に読むのをサボっている。
こういった考えから読点を打ちすぎるのは逆に人間の高度なサボり能力を阻害してしまうのではないかと思っている。↑の文章はさすがに読点がないとキツイかもしれないが…。
読点の魔の力
けれども、自分の意図を正確に伝えようと大量の読点を使う人がたまにいると思う。例えばこんな感じだ。
自分にとって、本当に、伝えたい気持ちを伝えるには、相手が理解してくれると受け身になるのではなく、自分がここだ、と思うことを読点で、まるで声を詰まらせて、ぐっと相手に押し付けるように、使うのだ。
まあこれもまた正しい使いかたなのかもしれないけど、ある意味で書く人の気持ちがすごく出ているなと自分は感じる。おそらく書いてる最中に力が入っているんじゃないだろうか。人間熱くなると声がだんだん大きくなったり身振り手振りが多くなるように、つい読点で区切りたくなるのかもしれない。
上記の文章を本当に伝えたかったこととして太字にするならこんな感じだろう。
自分にとって本当に伝えたい気持ちを伝えるには、相手が理解してくれると受け身になるのではなく、自分がここだと思うことを読点でまるで声を詰まらせてぐっと相手に押し付けるように使うのだ。
あんまり詳しくないからわからないけど形容詞だとか修飾を読点で頑張ろうとしているのかもしれない。とはいえ太字にすることで読点の数は減ると思う。そういった太字が使えないメールだとか、そもそも太字を使うと強くなりそうだけど意図はしっかり伝えたい時につい読点に頼ってしまうんじゃないだろうか。
逆に言えば読点をたくさん使う人の文章からは本当に伝えたかったことが見てわかるので良いかもしれない。ただしビジネス的な場面で読点が多いと少し失礼に値するかもしれない。なぜなら読み手はあまり信用ならないと伝えてしまっているかもしれないからだ。そこまでは言い過ぎかもしれないけれども…。
おわりに
読点が多い文章は個人的には嫌いではない。ただそこから伝わる印象は大切にしたほうが良いのではないだろうか。自分も昔はたくさん打っていた。その時に感じていたのは漠然とした読者への不安である。読者は自分が書いた文章をちゃんと理解して読んでくれるのか不安だったのだ。
読点が多い文章から自分が受ける印象は几帳面、まじめ、不安、神経質。こんな感じだ。自分の書いた文章が間違って伝わらないように精一杯配慮しているんだろうなと思う。そのわりに誤字脱字とかが多いとがっかりするのだが。まあ個人が書いた文章で書類でもなんでもないので別に気にはしない。
ただ文章を読んでその性質をみて人の性格なんかを想像するのが好きなのだ。ある意味探偵の真似事みたいなものである。几帳面で意味を間違えられたくないし、自分の気持ちをしっかり伝えたいから読点が増える。しかし自発的に書こうとした文章じゃないのか、ところどころ文章のつなぎ目がおかしいなど。
ブログを書いていてほとんど毎日文章を書いているからこそ、ほかの人が書いた文章からどんな気持ちで書いたのかを想像するのが楽しいのだ。そしてそこから何か自分に役立てられないか、もしくは自分の文章と比べて反省したり改善したりするものを見つけようとしている。