怠惰だからメモは近くに
最近メモを増やしていなかったのでメモを増やそうと思う。メモとはいわゆるネタみたいなもの、もしくは本文になり切れなかった題材のカケラである。ちょっと思ったこと程度をブログの下書きに保存しておくのだ。これを前はちょくちょくやっていたのだけれど、いつの間にか数が減ってしまった。ほんのすこしプレッシャーを感じていたのかもしれない。
メモをしていい、むしろ積極的にしようとすることは記事を書く上で非常に良いことだ。物書きさんと比べるのはあれだが、やはり最初の一文字、一文を書くのがとっても億劫になる。そういう時はメモをして未来の自分を助けてあげようと思って書くと少し楽になれるかもしれない。
そしてメモは容易に取り出せないとまったく意味をなさない。以前はスマートフォンにばりばりメモを書いていたのだけれどあまりにも長くなってしまい検索性もなかったため埋もれてしまうことになった。たくさんいつでもかけたのは良かったのだが…。Evernoteなどを使うと同期がとれて便利ではある。
しかし自分にとって最も楽なメモ、そして記事になりやすいメモは下書きである。ここらへんは怠惰さだとか心理的な障壁の高さによるものだと思う。左下に公開というボタンがあるだけで大変助かる。これを押せば公開されるんだと思うと俄然書こうという気持ちになれるからだ。それは不便さだとかよりもずっと自分にとって大事なことなのかもしれない。
そういった心理的なハードルを下げる役割としてITの便利な機能が大切なのだろう。アプリとかをインストールして自動でネットにアップロードしてくれる機能などだ。そうして人が手で移動させるような仕事を任せて、人間のやる気をなるべく削がないよう守ってくれる。むしろ人間は自分のやる気を守る努力をしないといけない。
自分こそ最も怠惰な動物であると思ってやる気をあてにせず、いかに楽にこなすかを努力したほうがいいかもしれない。小さなやる気を守ることを大切にしていかないとなかなか物事は続きにくい。毎日やる気を消費してたら年単位じゃ持たないのかもしれない。
おわりに
ここのところ自分が書きたい内容をいろいろ考えた。その結果わかったのは自分の情熱に火がついたものを書こうということである。過去の体験でも、本の内容でも映画の内容でも、人と人との関わりでも、情熱に火がついたものは容易に書ける。書きたいと思える。それはエネルギーだとかやる気をもらえたからで、自分の内側のものときっちり反応したからだ。
あんまり自分の過去だとかそういうことを書いたり、なんとかネタを出そうとしてもなかなか書けないのはそのためだったと思う。自分に何か関係すること、じゃなくて自分が情熱的に感じたことを書いたほうがずっと書きやすい。
だからネタを探すときもただブログを書くネタを探したい、書きやすいネタを探したいとするのではなくて、自分が情熱的に感じたことは何だろう、感じることは何だろうと問いかけたほうがずっと良いと思った。
その時の感情だとか気持ちを伝えられるように書けばいいはずだ。書ける内容を探すのではない、書きたいと思えるものを探すのでもなく、自分が感動するものを探した後でしっかり受け止めて書けばいい。そのほうが自分に自信をもって書ける気がする。
まだまだ書き始めて間もないので気づくことばかりだ。こうして少しずつ書くことに対して成長していけたらいいなと思う。