かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

頭を冷やすにはお風呂に入って体を暖めてから?

 

頭を冷やす方法?

最近になってちょっとイライラしてしまったり、ちょっぴりショッキングなことなどがあって精神的にちょっとつらい思いをしてストレスが溜まっていた。今日もなんだか疲れたなあとしみじみ思いつつ、どうにもムカムカして落ち着かなかった。何か食べてもゲームをしてもどうもスッキリしない。

 

どうも今朝から調子が悪く、体がずっとストレスで緊張しているように感じられた。こういうときは風呂にゆっくり入って体を温めたほうがいいはずだ。そうしてお風呂に入った後に恒例の牛乳を飲んでしばしストレッチをしているといい感じに体が少し冷めてきた。

 

するとお風呂の時もなんだかイライラしてせっかく休んでいる時になんでイライラしてるんだ!と思ってたのに妙に謙虚になってきたのである。そうするとやはり自分にはあまり関係はないけれど少しだけ反省するところもあったのかもしれないと思い始めた。妙に冷静になり、変えられるものと変えられないものを分けようと。

 

ストレスの原因となっていることは自分では変えようもないことが多い。だからせめて自分に非がないのならば非がないと落ち着かせて、自分でそのストレスから遠ざかる方法や逃げる方法を考えようと思った。自分はストレスの原因には何もできないが、ストレスへの対処法は変えられるはずだ。

 

先ほどまで「あぁ~~!!(# ゚Д゚)」と怒っていた人間とは思えないのがだんだん面白くも感じられてきた。なぜいきなり冷静になってきたのだろう?そう思うと、お風呂上がりで温まった後である…。そうか!体が冷えてきて頭もいっしょに冷えたのか、と!

 

実際のところ頭を冷やせとは言われるものの実際に(物理的に)冷やす場面はほとんどないように思う。夏場にプールに入ったりシャワーを浴びたりすると気持ちがいいだろうが…。だんだん寒くなってくるといつも冷え冷えである。…冬には怒りが収まらなくなったら雪に頭を突っ込めばいいのだろうか?

 

いやいや、きっとそうじゃないはず。一度お風呂に入って緊張を緩めて、そのあと自然と熱が引いてくる、これがきっと血の巡りを良くしてくれた後冷静にさせてくれるんじゃないかな?なんて思った。たまになんだかダジャレというか…まあ面白い発見だったんじゃないだろうか。

 

おわりに

父よ、私に変えねばならないものを変える勇気を、どうしようもないものを受け入れる静穏を、そして、それらを見分ける洞察力を与えて下さい。

ニーバーの祈り - Wikipedia

上記は聞いたことがあるし、実際に良い言葉だなあ至言だなあと思いつつも調べたことがなかった。が、実際に記事にするときちょっと調べてみた。実際の全文も味があって良かった。どうもこの祈りはアルコール依存症の団体などで再注目されて広まっていったらしい。

神よ、恩寵を私に与えて下さい
変えられないものを静穏に受け入れるために
与えて下さい 
変えるべきものを変える勇気を
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを私に与えて下さい

一日を一度に生き、
一瞬を一度に楽しみ
平和へと向かう小道として困難を受け入れる
神がしたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れる
私がそれを味わうようにではなく
あなたが全てを正しくされることを信じる
もしあなたの意志に身を委ねたならば、
この人生が適度に幸福なものとなり得るように、
そして、天国で永遠のあなたとともに至福を味わうために

アーメン

こうした言葉は祈りとして古くから口伝で伝わっていたという説もあるらしい。落ち込むべきところと落ち込んでも仕方ない部分、そういったものをきっちり分けてできる限りの今日をそのまま生きようという、さっぱりとした心地よさがあると思う。

 

ついついいろいろ怒ったりストレスに悩んだりもするのだけど、たまにこういった言葉だとかを思い出してちょっとだけ悩みを軽くできるようになれればいいなと思う。