過激派はなぜ生まれるのか?
選りすぐりのエリートを集めても必ずその中でパフォーマンスが低い層が生まれるという話を聞いたことがある。組織も同じで必ずパフォーマンスが低くなってしまう人はでてきてしまう。そうした時、パフォーマンスが低い人を切り捨てれば組織全体の能力は向上するのか?と考える。
自分はパフォーマンスが低い人を切り捨てていくと能力の精鋭化ではなく思想の精鋭化がされていくのではないかと思った。これは過激派がなぜ生まれるのか?ということによく似ている気がする。
過激派はなぜ生まれるのか?というと、ある組織があって50%穏健派:50%強硬派だとする。この50%強硬派にも50%穏健強硬派:50%強硬強硬派が生まれる。これをどんどん煮詰めていくとついに過激派が誕生するというわけだ。そして過激派が穏健派を切り捨てることによりピュア100%過激派になっていく…。
適者生存の勘違い
能力が低い人を切り捨てる会社があったとして、その切り捨てる理由はどんなものがあるだろうか。例えば成果が出ていないとか頑張りが足りないとかありふれたものがあるだろう。成果を猛烈に上げる人はたっぷり残業して…となればなおさらだ。
じゃあそういった成果を猛烈に上げる人を基準にしようとして、それ以外を切り捨てるとどうなるかと言うと組織の精鋭化の前に思想の精鋭化が行われると思っている。業務過激派というべきか。残業は善、自主努力こそ最上みたいな。
だんだんと思想の精鋭化が行われていくことに恐怖を感じた穏健派の人々は逃げていく。それは切り捨てにも似ていて、結局のところ過激派の勢いを増す結果になる。適者生存によく似ているからだ。そして肯定すべき結果にすら思えるようになる。
そうした組織に知らぬ間に新人が入ると恐ろしいことになるのは目に見えている。まるで海外から思想に共感して入ってしまうテロ組織に似ているとも言えないだろうか。そこまでは酷い言いぐさかもしれないけれど…。蟲毒にも似たプロセスのようにも思える。能力的な強さではなく毒の強さが際立つようになる。
こういった経緯でブラック企業は生まれるんじゃないだろうかとふと思った。