かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

いくらでもたくさん質問してほしいと思っている。なぜなら質問は貴重な情報源だから。

 

質問はいい兆候ではないか

anond.hatelabo.jp

上記記事が話題になっていたけれど、個人的にはいくらでもたくさん質問してくれると嬉しいなあという立場だ。なぜかと言えば質問が集まれば集まるほど利益になるからだ。

 

質問はされると面倒だとか時間の無駄とか思うことも多いと思う。だから相手が勝手に調べてやってくれればこちらの時間の無駄にはならない。確かにそうかもしれないけれど、相手の時間を削減するということは悪くはないと思う。

 

だいたい簡単に答えられる質問というのは初心者の時期が多いと思う。その時期にたくさん質問をしていくうちに徐々に質問の総件数は減っていくはずだ。その成長曲線を素早く支えられればそれだけ戦力に加わりやすくなる。

 

なによりも質問がたくさん出るところはなんらかの問題を抱えていることが多い。例えば情報が古すぎて整理されていないとか暗黙の知とか口伝による闇などなど。属人化している可能性が非常に高く潜在的なリスクがあると思う。

 

そうした質問を自分で調べろと握りつぶして沈ませたり、同じコストかもしくは更に高いコストを支払わせるのは損失だと思う。質問が一つもでないというのはそれだけ優秀な案内ができているか、もしくは誰も口を開けない圧政か、エスパーかのどれかだと思う。

 

質問の分析とメリット

質問をされたとき、そこに潜む問題はきっと組織などのシステム的な不備によるものだと思う。それはヒヤリハットだと思えばいい。ヒヤリハットを見逃していくといつか重大事故につながる。それは人材の流出とか人手不足による過重労働など。属人化を放っておくと深刻な事態になるかもしれない。

 

難しいけれど質問を受ける人間を分散させて、なおかつ質問への答えの源泉がどこかにあるというのが理想だろう。獲った魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えられるからだ。

 

また質問しやすいと他にもメリットがあると思う。組織文化などにも影響しがちだ。何かあっても自分で調べてからとかやってるとミスなどの時に口に出しにくい空気などが生まれたり、相談事をしにくくなる可能性がある。そういう時に限ってなんで早く言わなかった!と怒られるのが世の常である。それはまさしく日ごろの文化が生んだ失敗だと思う。

 

質問を受ける側は難しいかもしれないが、自分自身の時間を削られていると考えるのではなく、質問が生まれるに至った経緯などの確認修正、改善などができると考えればメリットに感じやすくなるのではないか。それに何も自分だけでなく周囲が協力すればそれだけ一人が費やす時間も減る。

 

おわりに

自分は常々質問がでない、もしくはしづらい環境は何か問題を抱えてるのではないかと感じてしまう人間だ。だから活発に簡単な質問でも繰り返し聞かれても特に何も思わない。さすがに何度もやられるとそれが組織的な問題ではなく個人的な問題の可能性もあると感じてしまうかもしれない。

 

けれどそれもまた、そういった人に対してどのようなアプローチをとるべきか?という解決を考える機会になると思う。とはいえ自分のこともやりたいときは相手を尊重し、質問をしてもらえるのは嬉しいし力にもなりたいが現在は自分のことがあるので周囲に聞いてほしい、もしくは待ってほしいと伝えるのが良いと思う。

 

 

相手に対して質問する前に調べてなどというのは命令型の指示だと思う。そうじゃなくてどう思う?とかどうやったら見つけられそうか、もしくはどこにあったら見つけられそうかなど一緒になって考えたりするほうがより活き活きとするんじゃないか。

 

黙ってお互い仕事をやっていれば何の問題もないのか?というと実はお互いに問題を見ていないだけじゃないか。質問は貴重な情報源なんじゃないか。そうした情報を自分からしてもらえるだけましだ。

 

一番つらいのは黙って何もわからず何も進んでないのを見るときだ。そういう時無力さを強く感じる。自分はこの人から質問をされるだけの人間として信用されてなかったのかと。態度だけでなく、実際に自分で質問はあるか聞きに行って、他の人からも質問を受け付けて…など、本当は質問をもらうことですら苦労するのになあ、なんてちょっと思ったり。

「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」

「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

 山本五十六から学ぶ「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」 - 空飛ぶ畳

 質問は長い目でゆっくりと時間をかけてでも答えていくといいことあるんじゃないだろうか。自分はなるべく質問されやすい人間でありたいなあと思っている。そしてその難しさもひしひしと感じている。答えるよりもまず質問しやすい人間になるのすらまったく骨が折れるものだ。