大学の悪い評判探し
昔、大学選びをする際に悪評を知りたがっていた時があった。良い評判よりも悪い評判のほうが当てになると思っていたからだ。そうして悪評を聞いたり世間一般の意見を聞くとみるみるうちに落ち込んだ。やはり偏差値は高いほうがいい、将来のためになる…。
そうして自分が受ける大学に対してレベルが低いだとか、そういったコンプレックスを感じることになった。偏差値が低い大学に行ってもしょうがないのに行かなきゃいけない、勉強してなかった自分が悪い…などなど。
自分で良い大学だからと選んだはずなのに、いつの間にか世間の偏差値信仰に染まっていたのである。とはいえ高校生の自分にとっては自分のことを信じられず世間のほうが正しいとしか感じられない年頃だった。受験というのは自分の自信をなくす苦行みたいなものだから、なおさらだ。
人は不安になると悪いニュースを聞きたがる動物なのだろうか。今よりももっと悪い状況であると認識したいのか、わからないけどそういう傾向はあると思う。ネガティブなときはネガティブな情報を集めてさらにネガティブになりがちだ。
そうして若干自分に失望しつつ入学したわけだが、入って周りを見渡してみるとみんな明るいのである。とりあえず大学に入学できてよかったねと。ただ一部の人は若干こじらせてしまっている。自分はもっと上の大学に行くべき人間だったのにという感じだ。
自分は最初もっと自分も頑張って上の大学にいければよかったのにと後悔していたけれど、入学してから周囲がのほほんとしているのに感化されて?自分の大学もけっこういいもんじゃないかと思い直した。
なにより環境のせいにするのはもったいないとも思えた。勉強はどこでもできるわけだから、レベルが足りないと思うなら自分でやればいいだけである。とはいえ大学の授業はそれなり以上に難しかったので心底この大学でよかった…と思ったのだが。
で、思ったのはネットの意見がすべて現実の意見じゃないよなあということ。当たり前なんだけれど、ネットだと何人の人がしゃべっているのかよくわからないし、尖った意見ばかりに集中しがちだ。
現実で話してみるとネットに書き込んでいるという人は意外と少なかったりする。ましてや自分が見ている範囲と同じ人はそうそうはいない。案外自分が見ているところは狭いのだ。世の中黙っている人も多い。でもそういう人は中立穏健だったり、優しかったりする。
まあ自分は大学を楽しんで過ごせたと思う。勉強も研究も人付き合いもなかなか楽しかった。もちろん毎日の食事も楽しかった。だから自分の大学の偏差値とかそういったものは全然関係なかったなあと思う。入学するときに得られると期待したものとはまったく違う貴重なものが手に入ったと思う。
世の中の大学に対する見方は就職予備校なんてひどい呼び方があったりするものだし、親御さんも大学に行く理由はそれだと思っているフシもある。それが一番わかりやすい指標だといわんばかりに。でも大学に入ってすごす当人たちの体験はひとそれぞれなのだ。
自分が見ている範囲が狭くないかと気づくのはすごく難しいと思う。そして見ている範囲の意見が全て正しいと思ってしまうのもよくあると思う。が、やりすぎると浮いてしまう。周囲と合わないというのはストレスだ。なるべくなら周囲と自分の意見に折り合いをつけて過ごせたらきっといいのだろうなと思う。