働き方を改革する前に
自分が仕事に対して思うことは、仕事をしている人も幸せじゃないとダメだと言うことだ。どういうことかというと、お客様を喜ばせることばかり気にして従業員を酷使するような真似はいけないということだ。三方良しとはまことにいい言葉である。
たまに頑張りすぎてしまう人がいる。お客様のためとか会社のため、同僚のため、上司のため。そういう本人の善意というかやる気と言うか、使命感、責任感で頑張ってくれる人がいる。
けれどもそれで幸せなのか?ということには少し疑問だ。人のためになることが幸せという人はキレイに思える。それが道徳的にも正しいように思える。でもそれは自分が無理をしない範囲で、しかも人の仕事を奪わない範囲でやらないといけない。
人の仕事を頑張りすぎること、手伝いすぎることは言ってしまえばその人が受け取るべきだった仕事への感謝を自分に向きかえるようなこととも言える。それはひねくれてるかもしれないが…。大切なのは自分の職務範囲の仕事を無理なく忠実にこなすことなんじゃないかと思う。
どうも経営者などが非常に耳障りの良い声で「お客様のために頑張って欲しい」などと訓示を垂れることがあるが、基本は与えられた範囲の仕事でいいんじゃないかと思う。自分が無理をしてやったとしても、それはお客様から見てばらつきがあっては意味が無いように思える。
仕事というのは思うに個人ばかりで戦うものではなく全体として戦うものだと思っている。だから個人が究極的な努力をしはじめると差が生まれ、全体もそれを当然としがちな風潮になるのが怖い。
仕事をしている人が幸せじゃないといけないというのは、個人個人が不幸で当然という考えを持ち始め、それを我慢してやるのが仕事という風潮になるのが良くないと思う。お客様のためなら従業員は不断の努力をし、不幸でも耐え抜かなければならない。それでいいのか。
そうじゃなくて基本的にみな無理をしない、みな幸せに過ごせるように調整する、その後でお客様への貢献をしてみる。自分たちなりのキャパシティを把握して、まずは自分を幸せにしてから他人に施すのが当たり前になって欲しいものだ。
なんとなくだが自分が不幸だと感じ、実際にストレスを感じている人は周囲にもつらく厳しく、そして新たなストレスを生まれさせやすいように思う。そういった負の連鎖にならないように、無理のない働き方をしたいものだ。
自分のちょっと好きな言葉として「無理のない返済プランを」というのがある。響きがいい。自分は全然借金なんか好きじゃないししたこともないが、無理のない計画を建てようというのは正しい。借金は早めに返したほうがいいし、借金をする前提なら返せるように借りるのが大切だ。
同じように会社だって労働力を月額、年額で借りているようなものだろう。ぜひとも無理のない計画を立ててもらいたいものだ。労働力を軽く見たり返しを渋ったり、安く買い叩いたりというのは勘弁してもらいたいものである。
逆に言えばこちらも会社に貸し付けているようなものなので、取り立てはきっちりやり、安く見られないことも大切なような気もする。会社にばかり奪われ、なんにも返してもらえないんじゃまったくもってやりきれないものだ。