かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

インターネットの感情に染まってしまいがち

 

最近ブログがあまり上手くかけないなと少し気が滅入っていた。また自分にはSNSの才能がなく(才能があるのかわからないが)、ともかくとしてtwitterなどにも投稿頻度が少なくしょげていた。

 

けれどもふと気づいたのはインターネットには感情があまりに多すぎるということだ。言ってしまえば感情的な情報も多く溢れている。多くの情報には無意識のうちに書いた人々の感情が込められている。好きなものをどうしても書きたい、共有したいという気持ちからは強い感情がにじみ出るものだ。

 

同じように不機嫌な意見、反対な意見、攻撃的な意見も見受けられる。それは当たり前だしそれ自体が悪いわけではない。けれどもそれらはまるで空気のようなもので、たまに感情の換気が必要になる。そのことを意識していないと不思議と染まっていってしまうような気がする。

 

人はよく周囲の人間の環境に馴染みがちという。穏やかな人の群れにいれば人は穏やかになるし、喧嘩ばかりの集団では自然と喧嘩腰になってしまう。同じように受け取る感情が多かったり、不機嫌なものが多いとそちらへと染まっていってしまう。

 

問題なのはインターネットというものに環境をあまり感じないことだ。言ってしまえばインターネットは無限の広さを持つ。だから集団や環境という意識ではなく世界そのもの、もしくは広大なものとして捉えがちだ。

 

だが実際には日本語を読めば、日本人が書いたものによく限定される。わりと母集団は小さいのだ。更にいうとそのページを読んでいる人、さらに書く人に限るとさらに割合が小さくなっていく。だから実はインターネットは濃い世界なのだ。

 

そういった濃い世界にいるという認識が薄れてしまうと感情に窒息しかねないんじゃないか?と思った。実際自分は無意識に息苦しさを感じていたのかもしれない。そういったものから抜け出すには、インターネットの外の世界でのんびり過ごすことだ。

 

ネットばかりで過ごしてしまうといつの間にか精神をネットにとらわれているようなものなのかもしれない。ネットに没入すると書くとやはり入り込みすぎている気もする。それは中毒と書くと強い意味だけど、たまには換気しないと空気が良くなくなる。いたって自然なことのように思う。