かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

みそ汁への想い

 

みそ汁はとても大切

当ブログは始めてから一年を経過し、すでに記事数も300を超えそろそろネタがなくなってきたと思ったが、まだ書いていない重要なことがあった。それはみそ汁である。誰がなんと言おうとみそ汁である。自分はみそ汁が大好きである。

 

旅行などや普段の外食でも思うのだが、メインの料理がおいしければ言うことはないがみそ汁がおいしくないとそりゃもうがっかりである。逆にみそ汁がおいしければメインがマズくても多少は許せる。

 

これはなぜかといえば、だいたいの店はメインがマズければみそ汁も総じて美味しくないからだ。こういったケースはめったにないため、たまたまメインが外れだった可能性が高いからだ。

 

以前に自分はお店のトイレについて熱く(?)書いたことがある。

kayanomi.hatenablog.com

お店のおいしさや居心地のよさというのはトイレの清潔感や広さに現れるのだと書いた。みそ汁も同じだ。みそ汁を適当に済ませてメインだけに注力するお店がおいしいとは思えない。みそ汁に手を抜かず最大限の満足を引き出すお店はなかなかない。

 

とはいえみそ汁はあまりに難しい料理のような気もする。誰にとっても喜ばれる万能のみそ汁というのはないのではないだろうか。一人ひとり好きなみそ汁は違うことが多いと思う。

 

我が家族はそれぞれ好きな味噌も濃さも具もばらばらで困った。自分は白味噌よりも赤味噌のほうが好みだ。ただし下手な赤味噌よりは白味噌が好みという厄介な舌をしている。濃すぎないほのかな赤味噌の加減が好きで、それと同じくらいにしっかりとした白味噌が好きだ。

 

具はさっぱりとしたものが好きで一種類だけでもまったく構わず、しっかり味を楽しみたい。具の味に集中するのではなくあくまでみそ汁としての統一感、一品料理のように楽しみたいのだ。自分があまりたくさんの味がすると混乱するからというのも大きい。

 

両親はまったく異なり、母親は野菜系具材をたくさん入れて楽しむ白味噌タイプ、父親は白味噌だがすごくあっさりとした味わいを好み、具は魚介系が好物である。かけ離れているわけではないが、全員が同時に最大限に満足することはない。とはいえみんなみそ汁は好きなので不満はないのだが。

 

ここまでみそ汁について書いて思うが、有名なセリフ(?)はやはり「毎日自分のためにみそ汁を作って欲しい」というプロポーズだろう。が、これは結構難易度が高いんじゃないだろうか。

 

ひとそれぞれみそ汁の好き嫌いはあるし飽きもある。年をとれば徐々に味付けの好みも変化していく。それらをわかりあいつつみそ汁を作り続けるというのはまったくもって大変なことだ。そういった気遣い、配慮ができる関係こそ将来をともに過ごす伴侶にふさわしいということなのだろうか。たかが料理一つだが、とても奥深いものだ。