かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

「握力が強い人は意志が強い」とか聞いたことありますか?

 

握力と歩く速さ

子供のころは生き物としての自分に自信がなかった。少しでも人より劣っていると本当にダメな人間なんだと落ち込んだり、人より変わっていると言われればそれだけ傷ついたことがある。人の普通とか世間の常識とか平均だとかそういったものには悩まされてきた。

 

しかし世の中の一般的に信じられていることなんて案外根拠のない迷信だったりすることがある。一歩間違えると危ない知識が平然と横行していることもあるし、まったく科学的でないことが信じられていることもある。

 

昔コンプレックスだったのは握力だ。同年代の中でもとびきり低く本気で心配されたり、どうしてこんなに弱いのかと言われたことがあった。教師からは運動しろとかいろいろ言われたが、ひどく気が落ち込んだのを覚えている。

 

その中でも嫌な気分になったのは「握力は意志の強さ」という理論だ。握力が強い人間ほど長生きし、やり遂げる力を持つという。これはいったいどこから導き出されたのかは知らない。もしかすると人と握手するときの握りが強いほど「やりおる…」みたいな理論なのだろうか。

 

たしかに風邪を引くと思いっきり握力がなくペットボトルの蓋を開けるのもしんどくなる時がある。それが意志の強さなのかはさておき、本当に意志の強さは握力に関係あるのかと苦しんだ。

 

こういった理論の嫌なところは本気で鍛えて強くならないといつまでたっても「口だけ」とか言われて面倒なことだ。なによりこういった理論を信じる人は自分に都合の悪いことは基本的に受け入れないので余計にたちが悪い。結局信じる人はなにがあっても信じるので相手にしてもしょうがないのだが…。

 

ともかくとして握力が強い人は意志が強いということは本当なのかと悩んでいたときがあったのだが、ある時それはさっぱりと消えてしまった。それはゴリラの握力と人間の握力についてで、どれだけ人間が鍛えたとしても普通のゴリラの握力には100%勝てないという話である。

 

まあ人間とゴリラを比べるのは卑怯かもしれないが、この理論でいくと全人類はゴリラよりも意志が弱いというわけだ。結局のところ、意志の力という曖昧な定義とそれに対しての握力の相関はほとんどないだろう。ただそうあってほしいという人が多ければそういう風説が妙に信じられる。きっとそういうことなんだと思う。

 

もう一つ思うのは、因果が逆であることや関係がないことを信じ込んでしまうことだ。握力を鍛えれば意志が強くなるのか、それとも健康でスポーツをしていて元気があるから握力が自然と強いのか、それとも気合が入っていたからたまたま握る力が強くなったのか。

 

それを考えずに闇雲に握力を鍛えても意志が強くなるわけではないと思う。同様に「歩くのが早い人は仕事ができる人」という不思議な話も聞いたことがある。これは歩く時間を短縮するほど忙しい人だとか、気が早くせっかちな性分が歩くのを早くするとも言われる。

 

ともかくとしてこれを信じて何故か実践してしまった人を知っている。仕事ができる人間になりたかったようだが、実際にやられると一緒に歩きづらくて困ったものだ。仕事ができる人よりも一緒にいたい人、この人と仕事したいと思える人を選びたいものである。