かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

カメラと写真の楽しさがわかった

 

カメラ欲

少し前、カメラに手を出そうか真剣に悩んだ時期があった。それまでカメラには興味がまったくなかったのだが、Horizon Zero DawnやThe CrewといったPS4のゲームのスクリーンショットが楽しすぎたせいだ。ゲームが発端なのは珍しいと思うが、現実ももっと素晴らしい景色があるに違いないと思ったのだ。

 

それからカメラについてそこそこ調べたりして面白い世界だな、自分もほしいなという気持ちがむくむく湧いてきた。店員さんにいくらか話しかけられ説明を受けるとそりゃもう欲しくてたまらなくなる。

 

togetter.com

この手の記事をみて、カメラ沼の人々はなんだかんだ幸せそうだなあとしみじみ思った。自分も旅行は好きだし、いろんな風景をきちんとカメラに収めたいという気持ちがあった。

 

とまあ、もう一歩で買おうかと思ったのだが一番困ったのは値段である。思い切って買ってしまえばそれまでなのだが、ちゃんとしたのを買おうとすれば10万の予算はいるかもしれないとなると即断は難しい。

 

そうしていると店員がグサリとくる言葉をかけてくれた。「今ではiPhoneのカメラだって十分な画質できれいに撮れますよ」と。確かに現代のスマートフォンはびっくりするほど高性能だ。10年前に比べたらとんでもないほどの能力を秘めている。

 

そこでふと気づいたのは、自分が今まで撮ってきた写真のいかに宝の持ち腐れか…ということだ。自分はカメラについて知ってもいないし、構図についても何も知らない。そんな中で高いカメラを買ってもカメラの力に負けてしまうのでは…と思い至るようになった。

 

そうして今あるカメラの力を最大限活用して写真を撮ってみようと思った。今までスマートフォンのカメラにF値とかISOとかシャッタースピードがあることに気づかなかったし、焦点だって指定できる。案外機能はあるのだ。

 

外に出て天気の良い日、絶好のポジションとも言える場所で構図を意識して写真を何枚か撮ってみた。わりと高いカメラを持っている外国人や日本人がいるなかで、少し恥ずかしげにスマートフォンをかざしながら撮ってみた。

 

撮ってみた写真は目で見るよりも面白く、それでいて不思議な雰囲気があった。なるほど構図などの意識でこんなにも変わるのかと驚いた。様々に撮ってみたがうまくいったのは一枚だけ。それでもまだまだだとは思うが、十分に楽しめた。わかったのは、たくさん撮った中の一枚でも良ければそれだけ報われるってことだ。

 

そうしてスマートフォンのカメラをいろんなところに向けて撮ってみると自分の意識がいかに日常に慣れすぎているかを感じることができた。何度も通っている道でもしっかり意識してカメラで撮ってみるとすごく客観的に見え、意外な印象を受ける。こんなに建物あったっけ、少なかったっけみたいな。

 

それに他の人の写真や風景、絵などについても見方がどんどん変わってくる。こういった写真は撮るのにさぞ苦労しただろうと苦労を偲ぶこともできるようになった。どこかの記事であったがインスタグラムにハマる人たちは、そうした途中のストーリーや写真の楽しみ方を満喫しているのだろう。

 

だから自分にはまだ高級なカメラは必要ない、今で十分楽しいと実感できた。もちろんいい写真をいいカメラで撮るというのはたまらない魅力があり、今でも若干惹かれるものはあるのだが、そうでなくてもまず写真を楽しむことが良いのだと思う。