かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

慕ってくれる人に対する身勝手な心苦しさ

 

虚しい気持ち

たまに自分を慕ってくれる人がいる。ありがたいことなのだが、いつも気後れしてしまう。でもそういう人を見るたび、そういう純粋な気持ちは自分の中にないし、自分の中にそういう純粋な気持ちが欲しかったなあと思って苦しい気持ちになってしまう。人を素直に信じることができる人って素晴らしいことだと思う。

 

もちろん自分が勝手にそう思っているだけかもしれない。本当は自分のことを信じずに適当なふりをして信頼しているふりをしていいように使いたいだけなのかもしれない。でも、一瞬だけは完全に信じてくれている、気が緩んだ時があると思う。それが長いか短いかぐらいに思う。

 

そういう気持ちに応えるたびに自分も誰かに信頼を寄せることがしたかったと思うけど、失敗してばかりだから悲しくなる。臆病になっていると人から信頼を寄せられても素直に受け取れなくなるからなお悲しいわけだ。

 

昔、小学校の頃に尊敬している友人がいて、いつだって強くて頭が良くて優しい人だった。そんな友人がある時、ずっと泣いていた。帰り道いっしょに歩いていたけど、ずっと泣いていた。そんな友人になんにも言えなかった。いたたまれない気持ちで、弱さを見てしまったことが申し訳なかった。

 

が、こんなに強くて優しい人を傷つけた人は本当に最低だなとも思った。自分が友人になにかしてあげられることはないかと思ったものの、踏み込むのも怖いし、拒絶されたら嫌だから結局そのままだった。

 

それでも自分は友人だと思っていたのだが、結局相手からは友人とは思われていなかったのだろうなと思う。もしくは自分が踏み込もうとしなかったからか、もう二度とあってはいない。数ある友人の一つな自分だから、なんだか大切に思っていてもそれは相手にとって意図しないものだったり、いらないものだったり、重すぎてひいてしまうものなんだろう。

 

そういうことをずっと人生で繰り返してきている。大切に思いはするのだけど、結局大事なことは他の人に任せてしまっている気がする。たまに踏み込んでみても、それは自分の役目ではきっとないのだ。自分がそう見せてしまっているのか、人に信用されないからか。

 

そんなふうにグチグチと思ってしまっているから、たまに慕われたりするけど、それもまた長続きしないと思ったり、自分にはふさわしくないというか、自分に諦めてしまっていると感じるたびに苦しい気持ちになるのだ。

 

自分の気持ちが正しくないのではと思うたび、自分の心は正しいはずだという気持ちと過去の思い出がごちゃまぜになって、結局はいつもどおり曖昧に笑って済ませる。相手にとって都合がよければきっとそれでいいんじゃないかと自分でもわかっているけど嘘をつきながら生きている。