かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

幸せと不幸は相殺できない

 

不幸の帳尻合わせに幸せは使えない

昔の自分は将来に全く期待が持てずネガティブで悲観的だった。毎日が憂鬱で暗くて沈んだ毎日を送っていた。その後、環境が少し変わってから自分で毎日を楽しむことにした。

 

それはある意味逃避行動で、いわば毎日ご褒美があれば楽しく生きていけると信じたからだ。不幸の帳尻合わせと言ってもいい。これはなかなかの発想だったと思う。毎日不幸だったとしてもそれを埋め合わせる幸福があれば、未来もずっと幸福であり続けるという理論だ。

 

このことを最初は間違っていると思いつつも自分をごまかすために続けていたが、いつしかそれが習慣になり、うまくいかないことを忘れてそれすらもごまかしていたような気がする。

 

この習慣の弱点はいつだって不幸を埋め合わせることはできないということ。不幸のために幸せを相殺してはいけないことである。そしてダメ押しで言うなら、人間は確かに今を生きる動物だが、未来を生きようとしなければならないという当たり前の事実である。未来から逃げようとしてはいけないのだ。

 

不幸の相殺に幸せを使おうとするのはやめたほうがいい。まず不幸は不幸のままだし、それから目をそらすといつまでも解決しない。それにそもそも覆い隠せない。人間不幸は不幸として感じるし、幸せは幸せとして感じる。それはプラスマイナスでは実はないのだと思う。

 

人生はプラスマイナス、不幸と幸福の波がたくさんあるという図解がよく道徳でなされたりすると思う。あれはウソだと思う。幸せと不幸は平均でとれるようなものじゃないからだ。不幸の中にだって幸せはあるし、幸せでも不幸であることはありうる。相殺しているわけじゃないのだ。

 

www.buzzfeed.com

この被災者のスピーチを見て思ったが、震災というさなかでも幸福であった人はいたし、不幸であった人もいる。ただそれだけなんだと思う。被災者だから幸せなことがあっても大きな不幸があるから幸せじゃない、そんなわけはないのだ。

 

同じように人の不幸や幸福を自分のものにはできない。当たり前だが、意外と間違うこともある。親が喜んでいるから自分も嬉しいはずだとか、親が自分を不幸だと言ったり周囲が不幸だからといって自分が不幸なわけじゃないのだ。そして、それは相殺されない、自分だけの幸せなのだと思う。