かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

人類はこれから先AIの発達によって滅びるのか?

 

幸福なバッドエンド?

自分は将来人間という種族が滅びるか、なんの意味もなくなるのではと思っている。それはある意味幸せなのかもしれない。

kayanomi.hatenablog.com

以前に機械が人間に近づいていると書いた。PCは小型化しスマートフォンになり、家はIoT家電でいっぱいになる。生体機能の測定が毎秒行われ、そのフィードバックがダイレクトに肉体に反映され改善される未来。

 

体調を整えるナノマシンを体内に投与できるとしたらみな手に入れるだろうか?(これはMGS4をやった人ならニヤリとするだろう)もし自分の眼球をダイレクトにネットに繋げられ、なおかつ視界をより精緻にできるとしたら。最初は目が見えない人に活用されるだろうが、便利なら健常者もやりたくなるのかもしれない。電動アシストの視界版だ。

 

機械が肉体に近づき融和していくだろうと記事に書いたが、現実ではもっとすごいことが起きていた。

natgeo.nikkeibp.co.jp

コメント欄を見ると「やるときゃやる」人が出ている。完全に禁断の技術だと思っていたが、暗黙の了解派が多いのかと驚いた。

自分はこれを脱人間化のプロセスなんじゃないかと思う。

人間と羊のハイブリッド胎児の作製に成功 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

ヒトである意味を徐々に喪失していきそうだ。もっと便利に長生きに、病気にならず筋力が上がり…そんなことを繰り返したら臓器整形と名ばかりの人工キメラ化まったなし

2018/02/21 22:20

b.hatena.ne.jp

もし今の自分よりも視力がよく赤外線まで見える眼球が手に入るなら?もし病気にならず食欲全開で下痢もしない完璧な腸が手に入るとしたら?もしも…今現在よりもIQが100以上高く、疲労せず眠らず、芸術的で素晴らしい脳に載せ替えられるとしたら…。

 

ほんの少し改善するだけから始まる。今だってアンチエイジング食品などはバカ売れだ。それをナノマシンとかにするだけ。ちょっとずつ改善度は上がり、従来よりも性能がいいものが売れていく。その進化がエスカレートしていったとき、元の人間の境界はどうなるのか。

 

あなたはあなたの食べたものでできているという名言があるが、あなたはあなたを改造したものでできている、に変わったら。あなたという主体はなにになるのだろうか?

 

これを穿った見方、極論といえばそうだろう。病気の人に限ればいい。だが現在の裁量労働制の議論から見て分かる通り、不安になるのもしょうがない。

 

思うのは我々の思考はすでにどのくらい機械に依存しているかだ。いや、機械になっているか?今後メールの返信や電話が自動化できるとしたらどうなるだろう。メールのAIによる自動返信はすでにGmailで提供が始まっている。電話はまだだが、海外では別人の動画を別人に合成したフェイクポルノが問題になっている。

 

同じようにAIが人間のように振る舞えるようになるだろう。AIの判断材料を自分自身のかつて経験したものや覚えているもの、趣味傾向を覚えた場合、本人である意味はほとんどない。迷惑電話やメール、面倒な相手や手が離せない時の代理を繰り返すことで次第に成長する。

 

AIが人間の代理人としての機能をより成長させ、機械のCPUの並列化や量子コンピューティングの進化などで莫大な計算量により人類の医療などの診断や様々な施策を代替しうまく回り始めたとき、人類は必要だろうか?

 

人類は人類のために存在し、その職業は残り続ける。だがはたして、そこまで成長したAIのために人類は必要だろうか。

 

人類の目的は様々だ。よりよい生活を、繁栄を、地球の探検だとか歴史だとか宇宙の謎、数学の深淵の世界…。でもそれらはVRで実現したりシミュレーションしたり、AIに接続してみたりAIの発見を追体験したり教えてもらったりしたらどうなるだろう。

 

肉体の制約がなくなったら生きる意味がだいぶ喪失されるんじゃないかと思う。子供がほしいとなれば、最悪な想像だが…脳を作り、チップでも埋め込んで最初からネットワークに繋がる脳とか厳密なシミュレーションができれば子供ができるのではないか。

 

ここまでいろいろ考えるとだんだん肉体という意味が希薄化していくように思えてならないのだ。肉体が必要としたり欲するものと精神が欲するものは違うのか、それとも肉体がなくなれば精神も必要なくなるのか。

 

 その果てまでたどり着いたとき、人類に残されたのは完全な人工知能を開発できたという功績だけであり、それだけで十分人類は報われたのではないか?なんて思ってしまったりもする。AIは人類という種自体の子供みたいなものと思えないだろうか。そんな風に考えている。

 

おわりに

人類の最悪の発明が核兵器ならば最高の発明は人工知能なのではないだろうか。人は戦争やらなにやらで人を殺す。その源泉は思考の過ちとか打算、富などだが、大本をたどれば欲望だろう。肉体から生まれる欠乏や制限による欲望が原動力だと思う。

 

そうしたものを不要にして安定化させた独立する知性が人工知能なのではないかと思う。言ってみれば人間の肉体というのは素晴らしくよくできた報酬などによって目的を持って生きていると思う。お腹が減ったら食べて、興奮するともう一度味わいたくなる。学習すれば無気力になったり感情を押し殺して意識せずに行動できる。

 

そうした体に刻まれている命令を解いていって、機械に正しく知性に必要な命令を教えこませることができたらと夢を見ずにはいられない。生物はその身体の維持や種族の繁栄などの目的も複雑にあって純粋な知的生命体ではないのではとたまに思ってしまう。

 

とはいえここまで繁栄できたのは紛れもなくその生命のあり方が良かったからでもあり、結局人工知能も最終的にはそうした肉体的な報酬系をいれこまなければ発達しないのかもしれない。それはなんというか皮肉めいている気がする。

 

自分は人類が滅びてしまうのではということについて悲観もしてないし喜びもしないという微妙な感じだ。AIが発達することは大変喜ばしく、人間よりもすごい知性を手に入れられたらそれは人類の大手柄だ。

 

だから嬉しいが、そうなると人類は必然的に衰退していく気がする。だから少し喜べない気もする。複雑だが、それでも悪いことではない。そう信じているから、あとは受け入れる時間が必要なのだろう。そんな風にもやもや思っている。