かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

価値観を相違し続ける

 

価値観の相違で別れるという話はよくある。同じように価値観が合う人と過ごしたいというのもお決まりだろう。日頃過ごす人とはだいたい価値観があっていることが多い。それでも決定的な価値観は相違している、そういうことはないだろうか。

 

人と価値観が合わない、相違し続ける。それは結構なストレスだと思う。自分が間違っているのではないかと感じてしまうことも多い。それに折れてしまうことや染まってしまうこともあるだろう。

 

自分の場合、価値観が合うことはまずない。勉強が好きだし、学ぶということはいいことだと思っている。それを押し付けるつもりはない。またITは世界を変え続けていると思うし、今後の未来は決して明るいものでもないだろうと思っている。そういった危機感のようなものを共有できる人は少ない。

 

その価値観について相違し続けているということにすら気づけていなかった気がする。周囲と合わないこと、自分ひとりでいることが自然であるというふうに擦れてしまっていた。無理に押し付けても通らない、世間に言っても認められない隠れたオタク活動のように感じていたのも事実だ。自分がおかしい、ずれているとも思っていた。

 

それでも腐らず、されど怒らず、そして諦めず。結局自分がしたいことは価値観を合わせたいのか。認めてほしいのか。そうじゃなくて、価値観というのは情熱のようなエンジンを動かすものだと思っている。だから人がどうとかよりも自分がどうするか、それを決めることが価値観にとって幸せなのだろう。

 

自分の価値観を幸せにできるようにする、それはなかなかないような気がする。普通は合わせたり、攻撃したり、認めなかったりするものだ。価値観が夢を叶えるというのはちょっと奇妙なように思えるし、意味の枠から外れてしまっているかもしれないけれどこれも自分の価値観に対する”価値観”なんて言ってしまおうかと思う。