かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

勉強と実践

 

いつまでも学んだままではいられない、準備ばかりでは引きこもりと同じなのではないかと最近は思い知らされたことがある。自分は勉強が好きで、知ることが好きだ。知ることこそが自分の人生で、何事も経験なんて言葉がある通りに生きるのが幸せなのではないかと思っていた。

 

つまり挑戦や実践さえも結局は知るということの一部なのだから、知るということが人生だけでよいのではないかと思っていた。それはVRなどの機器によってあたかも現実のようによりリアリティのある経験ができる未来が訪れると信じていたからでもある。実際の経験と小説や本、VRでの経験は大差ないのではと思っていた。

 

本当はそう信じることで準備とかそういうことに夢中になれることを好いていただけだと思う。ゲームでも自分の性格はよく出る。とりあえず準備、自分が思う最高の環境を作って満足する。そういうタイプだ。装備を充実させたり脇道にそれて本来の目標になかなか挑戦しない。ゲームをクリアするのが本当の目的のはずなのに言い訳としてゲームを楽しむのが目的なんて言ってしまう。

 

それは正しいと信じていた。それを否定する材料がないと思っていた。否定したくはなかったのだが、やはりそれは間違いなんだろうと思う。知識を貯めるだけで何にも使わない人生というのは、やはり寂しいのだろう。それを寂しいと思うのは社会にそそのかされてというわけではないと思いたい。

 

なんていうか言い訳をしていることに気づかない言い訳というのは自分を腐らせてしまうのだろう。難しいけど、凝りをほぐすようにしなければならないと思う。なにかにこだわっているときに気をつけなければならない。自分の生き方が固まっているときに、そこに疑問をつけてほぐさないといけないのではないかと思う。