かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

なんとなく書きたい時間

 

自分にとっての素敵な、優雅な時間のイメージは朝、喫茶店で珈琲をたしなむこと。

素敵な音楽と過ごしやすい空気。騒がしくない時間。ほっと一息ついて安心する。

そういう時間がとても穏やかであるからこそ、得難いものだと思う。

 

昔、平日のお休みの日に朝早くから遠出をしたことがある。

一度も行ったことのない道。どこか見慣れない風景、知らない人たち。

自分がここにいていいのかと少し不安になる早朝の時間。

まだサラリーマンの姿も見ないような、忙しくない空気。

 

このとき自分はわりとへこんでいて、徹夜していたのだ。

家で落ち込んでいるのもよくない、朝日を浴びよう。

どうせなら遠出してしまおう。そんな疲れた頭のおかしな提案。

それでも外に出たほうがマシだった。

 

一つ、心に決めていた。どうせなら優雅な朝食でもとってみようと。

どこかフラフラと良さそうなお店を探してモーニングセットの高いやつを。

そんなふうに思って、いろいろ歩き回った。

けれど、期待していたようなお店にはどこにも入らなかった。

 

 

しかし、なんていうか一つだけ収穫はあった。

 

いろいろ探してしばらくすると、公園があった。そこそこ広かった。

いろんな人が来る。滞在時間もまばらだ。それを見ているのが楽しかった。

自分はさぞ不審であっただろうけれど。

 

コンビニのおにぎりを食べている人がいた。

なんとなくそれを見て、ああいいなあと思えた。

朝の早い時間に、公園のベンチで静かにご飯を食べている姿。

寂しそうに見えたのはたぶん自分の偏見だ。

反対から見たら自分のほうがよっぽど惨めだ。

 

お互いになにを考えているのかわからない。知りたいとは思うけど、知る由もない。

二度と会うことはない。想像はいろいろできるけど、意味はない。

ただ違いはご飯を食べているか、食べていないか。

なんていうか無駄な考えを感傷的にしている自分がまあ馬鹿らしい。

事実はご飯を食べている人が公園に一人いるだけ。

 

でもなんか、誰かがいてくれてちょっとよかったなあと思えた。

それでもって相手も一人でよかった。自分も一人で朝を過ごしている。

勝手に一人で共有して、なんとなく満足して家に帰った。

そんな日があった。