かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

デジタルディスラプションと当たり前のVR

 

破壊的な技術、文化

インターネットという存在は昔はあたりまえではなかった。
ある特定の人達が騒いでいるだけの新しいおもちゃという扱いだろう。
それが今ではなくてはならない社会基盤になっている。
インターネットの発達は様々な既得権益や権力、産業を破壊してきた。
それをデジタルディスラプションと表現するらしい。

 

これらはある程度予測はされていたのだろう。
だが、それを信じたくはない人々が多かった。
だが一家に一台PCがある生活へとなり、世界は転換点を迎えていた。
今ではITに対応していないことは生き残れないことを意味するかもしれない。

こうした視点はやはりNHK映像の世紀に影響されている。
数々の歴史を順繰りに見ていくわけだが、最初は放送が圧倒的な力を持っていた。
だが、現代に移っていくと様々な破壊を目にすることになる。
スマートフォンのカメラで動画撮影をする人々、Youtubeでオウンドメディアを演る人。

それはもはや従来のメディアという特別な力を破壊した瞬間じゃないだろうか。
インターネットの力が政権を崩壊させた、権力を崩壊させたこともある。
今ではその力を逆に悪用することも問題視されている。

ともかくとして30年前には考えられないほどの力をインターネットは持った。
産業を大きく変えたのはSNS、人のつながりをインターネットで拡張したことだろう。

今ではソーシャルの力も大きく社会に関わっている。
個人の仕事もそれぞれのソーシャルの力、発信する力で大きく変わる。
それはまさしく革命だろう。
様々な一般人がかつては特権階級しか持たなかった力を平等に手に入れた時代だ。

今では電車内で多くの人が電子世界を小さな窓を持ち歩いて見るようになった。
体の一部に電脳世界を持っている人が大勢いる。
我々の意識にはもう、いつの間にかインターネットの世界が隣にいるとわかっている。

 

常になにかがインターネットに繋がっている世界に生きていることを理解している。
これこそが革命だろう。産業革命よりもはるかに大きいと個人的には思う。
だって人の意識がまったく変わったのだから。

 

同じ道をたどっていく

こうした力はかつて特権階級がずっと手放したくないと願っていたものだ。
そしてその力に憧れ、真似をする人間は後を立たなかった。
昔のラジオなんてまさしくだろう。ラジオ少年はこぞって強い力に憧れた。

そしてインターネットも同じだっただろう。
ブログが始まる前は大手テキストサイトの真似をしたものだ。
大手がすごいCGIとかスクリプトを書いているとこっそりコピーしたり。
大きな力に憧れた個人が草の根の活動をし、次第に市場が大きくなっていく。
それが仕事になり、一般へと普及し、そしてただの当たり前になる。
技術はこんな繰り返しなのかもしれない。

今、VRはどうだろう?
かつてのパソコンの値段と似ているような気もする。昔はべらぼうに高かった。
同じだ。技術書もまだまだ少ない。大手の力を真似して個人が草の根活動をする。
だんだんと界隈が賑わっていく。古参が生まれ、その周囲に人が集まっていく。
徐々に企業が力をつけていき、仕事ができ、一般へと普及していく。
その空気はなんとなく似ている気がする。

自分は早く、VRが当たり前の世界が訪れてほしい。
VRがもたらす世界は新しい生活空間と同じである。
かつてインターネットの世界がもたらしたものと同じものを感じる。
もちろん光と闇があるのかもしれないが、それもまた進化としてお決まりのことだ。
こうして技術が進歩して、また時代が変わっていくのを楽しみにしたい。

VRが当たり前になった世界が訪れたとき、人の認識はどのように変わるだろう。
それはインターネット、SNSが当たり前になった今の世界と昔を比べてみると面白い。
今では自分の気に入る人や発言、ニュースがすぐさま飛び込んでくる。
自分の見たいと思ったアニメや映画は月額でどこでも見れるようになった。
もはやどこでも仕事はできるし、趣味もまたソーシャルなつながりで見つかることもある。

やりたいと思ったことを発信してお金を集めることもできるようになった。
すべてが理想通りでもなく、万人ができるわけじゃないが、それでも可能は可能だ。
0が1になった世界である。

VRも同じだ。VRChatをやってみて、交流して、生活している。
これは0が1になった世界だなと自分は思う。
そしていろんな問題がわかってきている。
現実との差異、アバターと自分の人格、きぐるみか。
夢と現実と幻覚、認識。他人との距離、現実と変わらないような、会う感覚。

 

それらは、現実になったからわかった問題だろう。
だから自分の主観で、まったく他人事かもしれないが、それでも喜ばしいと思う。
だって芽が出ていなければこういった問題なんて出てこないのだから。

おわりに

これからもっともっとVRが当たり前になり、それが当然の認識になってほしい。
そして社会基盤がまた変化すれば良いと思う。
現実とVRがお互いによい隣人になるべきだ。


互いを敵視するのでもなく、内包しようとするのでもなく。
それはあたかもインターネットと現実のように、徐々に融合していけばいい。
そうやって人類の文化は進歩していってほしいと思う。