これは自分にとって鉄則である。単純な言葉だが、必ず確かめなければならない。
文章に詰まったとき、うまく書けないと感じたとき。気が進まないとき。
うまく書けないことは、書かないほうがいい。
これは諦めるという意味ではない。
うまく書けないと感じたことはあるだろうか?
日本語を書いている限りでは言語の使い方に問題はないだろう。
ここで言う、うまく書けないは自分の気持ちや知識が足りてなくて書けないことだ。
自分の知識が足りなくて書けないというのは、学問的な意味ではない。
大宇宙の神秘について書くことは素人にはほぼ不可能だ。
うまく書けないどころか不可能である。無謀である。
経験と言ってもいいかもしれない。知らないことはそもそも書けない。
わからないもの、気づいていないものは書けない。
書けないときは焦点がたぶんずれている。
自分にとって書けないテーマで書こうとしているのだと思う。
今のこの記事が文章術として書こうと思っていたら自分はもう削除していると思う。
この文章が特別読みやすいとは思わないし、よくいるブロガーの文章だろう。
じゃあ自分が書けないと思わない理由はなにか。
これは今、自分自身が強く感じていることだからだ。
強く感じたものを書くことはできる。
この文章を書く前に違うテーマで書こうと思っていた。でも書けなかった。
よくある仕事術的なものを書こうとした。
けれども、うまくかけない。自分にとってうまくいっていないからだろう。
どこかで読んだビジネス書の言葉ばかり並んでいる気がした。
自分の気持ちがうまく書けなかったのだ。
だから自分の中にあるものをきっと書いたほうがいい。
そんな風に思う。自分の気持ち、知識、考えなら整理することができる。
どこかからコピーして貼り付ければ書いたように見せることもできる。
でもそれは自分で書いたことではない。
自分で書くなら、自分の中から書かないといけないと思う。
うまくかけないなと思うとき、自分の中からちゃんと書けてるのか。
書けないのならたぶん自分のものになってない。
だったらそれは書かないほうがいい。自分で責任も持てないからだ。
書けるものを書こう。いまはそう思っている。