かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

自分でいられる場所で生きよう

会社でも、家族でも、友人づきあいでも。

自分自身のことを大切にしてくれる環境にいたほうがいい。

代わりはたくさんいるというメッセージばかり発信される環境にいてはいけない。

そこではなにかをしないと生きてゆけないと脅迫されているようなものだからだ。

そういった環境で長く過ごすと自己肯定感、自分が生きていいという気持ちが薄らぐ。

それは自然な状態じゃない。人は自分自身で許可なく生きていい。


人を大切にしない場所では容易に他人を傷付けることが許可される。

絶えず互いに不信を抱き、満足することがない。

会社ではたまにある光景だ。

実力主義と言えば聞こえはいいが、人を傷つけてはいけない。

人の能力をあてにする人は、その人自身に裏切られる。能力以外は関係ないからだ。

 

家族でも同じだ。存在よりも提供する価値ばかり見る人とは一緒にいるべきではない。

価値があるから存在してもよい、なんてことはありえない。

誰もが等しく誰に価値を与えていなくても存在して良い。

そもそも人間とは等しく価値のない生き物である。

自然の一部であり、それに優劣や価値などないからだ。

 

だからこそ人が提供する価値ばかり気にする人に囲まれて生きてはいけない。

そういった人は、人を見てはいない。人を見ていない人は、人から気にされなくなる。

互いに使って使われるだけの人だ。

それをわかりつつビジネス的に付き合うのもいいだろう。

が、普通の人にとってはそんなものは疲れるだけである。プロだってきっと疲れる。

 

そうはいっても仕事なんだから能力で測らなければ困る。

能力が下がったら別な人を雇うしかない。そういう声もあるだろう。

大切なのはその人の能力だけを頼りにしないことだ。

人の能力はそもそも一定ではない。健康面はもちろん、ライフステージの変化もある。

雨の日は気分が暗くなるし、狭くて息苦しいところでは集中なんてできない。

 

そういったその人自身のゆらぎを認めることだ。

その人が力を貸してくれている、時間を使ってもらっている。そのことを認めること。

じゃなきゃ自分自身も容易に切り捨てられる。

もしくは自分だけは守ろうと泥仕合を始める。争いが起きやすくなる。

 

なんていうかその人に頼みたいなと思えないとそもそも駄目じゃないだろうか。

時間が空いている人と遊びたいからあなたを選びました、なんてつまらない。

あなたの人への接し方がとても素晴らしいから、あなたと過ごしたいのほうがいい。

まずは人を見て、そこから発揮される能力とのつながりを見る。

 

 

結局、意思決定をする心が変わらない限り、態度や言葉遣いなんて変わらない。

だから良い心を持った人たちとすごしたほうがいい。それは難しいことだが。

でも自分で選べるならば、選んだほうが良いだろう。

自分の心が、自分を大切にしたいと願っているならば。

そうしない、そうは思わない人、組織、会社などとは永遠にわかりあえないだろう。