世の中はなんてことなく、ただ過ぎていく。
たまーに嫌なことがあったり、ふてくされているとそんなことを思ったりする。
世はなべて事も無し。いや、なべて世は事もなし?どちらが正しいのだろう?
洒落た言葉で気に入っていたけど、さて原典はなんだろうか。
調べてみるとこれはどうやら海外の詩の翻訳だったらしい。
となるとどちらでも解釈として正しいという感じだろうか。
上田敏の訳詩集『海潮音』(1905年)の中で愛誦される詩の一つに、ブラウニング「春の朝」(はるのあした)がある。
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。8行の平易な詩句とのびやかで肯定的な主題は、上田敏の心地よい韻律の名訳とあいまって、広く親しまれてきた。
こんな形でWikipediaには書かれていた。
ちなみに英語版はこんな感じらしい。
The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hillside's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn:
God's in His heaven --
All's right with the world!GOD'S IN HIS HEAVEN.ALL'S RIGHT WITH THE WORLD.ってどうゆう意味ですか?ちな... - Yahoo!知恵袋
All's right with the world が すべて世は事も無し、なんてかっこいいじゃないか。
英語版は神の威光があまねく世界だからこそ、すべては正しくあるみたいな感じ。
日本語版になると自然に対する人間の無力さからくる神への畏怖みたいな感じか。
ここらへんは宗教観の違いが少し現れている気もする。
侘び寂び的な、自然とそして災害と共にある島国の精神か。
ちなみにこの詩には背景のストーリーがあり
1年1度の休日にピッパが「アソロで最も幸せな4人」と思っている家の前を通る。そのうちの一人オッティマはピッパの工場のオーナー夫人で情夫と結託して夫を殺したところで2人は口論中だった。ピッパの屈託のない歌声と詩の内容に情夫は心を動かされ、犯した罪の重さを悔やむ。その傍を通る少女ピッパのうたう歌詞である。
とのことで、純朴な少女が歌う世界の美しさと罪深さの対比が描かれているのだとか。
日本語の訳だけ見ると、春はあけぼの…のように感じるが、そうではないらしい。
世は事も無し。日本語ではしみじみとした諦観のような侘び寂びを感じる。
だけれども、本来は高らかに元気よく歌ってみるものなのかもしれない。
ああ、世は事も無し!