感動している自分に慣れてしまったら、人生はさぞつまらないだろうと思っている。
それは感情に対して食べ飽きたかのように、冷めた視線で自分を見つめることだ。
自分の感情に、それはもう見た、飽きたと言ってしまう。
同じ感動は二度もいらない、新しいものはもう出ないだろうと諦観しているのか。
こういう態度で中二病の頃を過ごした。とても痛い黒歴史である。
大人になると、実は感情というものを自分自身で大切にしないといけないと知った。
大人は感情に揺るがされてはいけない。冷静沈着で取り乱してはみっともない。
よくそんなふうに言われる。なるほどとしたり顔で感動を冷静に処理する。
でもそれはちっとも楽しくない。自分の感動は自分だけのものだ。
自分の内側の世界に人を踏み入らせる必要はない。
自分の感情は自分自身でしっかりと味わい、楽しむものだ。
なぜなら、自分の感情を他の人は味わうことができないからだ。
自分からその感情を説明して、共感してもらうことはできる。でも共有はできない。
ささいなことにも感動するべきだ。こころ、感情を動かすべきだ。
自分のこころの小さな動きをよく観察すること、表現すること。
それは全然こどもっぽさとは違う。子供は感情を知らない、伝えられない。
大人は感情をたくさん知って、共有できるようになっていく。うまくなっていく。
自分自身を大切にできる大人とできない大人なら、できる大人になりたいものだ。