人生にBGMはない。自分の過ごす時間にBGMはない。
それはゲームをやりすぎていた学生のころに気づいたことだ。
ゲームやドラマ、映画にはBGMがよくある。
感動的な音で感情を揺さぶる、表現する。
だけど自分の日常にはそんな音は存在しない。自然に与えられない。
人に聞こえるものでもない。人生はストーリー仕立てじゃないからだ。
いつなにがおこるかわからない。当然のことなのだが。
それが悲しいのは自分が感傷的な気分のとき、街がお祭り騒ぎだったりすることだ。
自分の過ごす時間と世界の過ごす時間が違うことを感じる。
一人ひとり街を歩く人達にはそれぞれの時間がある。
自分が感じる感傷的な気分なんて誰にも関係なんてない。
だれとも共有できない時間が過ぎてゆく。
いいこともある。暗いニュースや政治に対する怒りだとかなんとか。
そういうものをイヤホンをして自分で陽気なBGMを流せば隔離される。
世の中のご意見だとかそういうのは自分とは関係がない。
音楽のない人生なんて考えられない、なんていうのがよくわかる。
自分の人生に音楽をつけられるのは自分自身だけだ。
でもたまには感傷的な気分だから休みたいなんていうのが認められるといいなあ。
映画がすごく感動的で余韻に浸りたい。誰にも邪魔されず静かに過ごしたい。
そんな素敵な時間を過ごすことに、どこか寛容な世界であってほしいものだ。
自分の人生ってやつを感じるのはそういう瞬間だ。