かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

なにも聞かなくても楽しく過ごせる時間

 

昔から自分の母親は友人にたいして並々ならぬ興味を持っていた。

まさしくうわさ話が大好物な、井戸端会議好きの主婦そのもの。

どこに住んでるとか友人の両親についてとか。

挙句の果てには来ている服だとか靴だとか、持ってきたカバンとかも聞いてくる。

でも自分はまったく覚えていなかった。覚える気もなかった。

 

だんだん大人になるにつれ、友人づきあいは自然と減っていく。

子供の頃は毎日だって足りなかったのに、大人になると月単位になったりする。

ひどいときは祝い事とかイベントとかでしか会えない。

そして実家に帰るとなんやかんや聞かれる。これがどうしたあれがどうしたと。

だが、やっぱりだいたいそんなことは知らない。覚える気もあんまりない。

 

この自分のずぼらさ、適当さでいいのだと思える出来事があった。

そういう表面的なことはどうだっていいやと思えることだ。

 

中学のころによく遊んだが、高校になってから疎遠になっていた友人がいた。

もう思い出せないが、ある時遊ぶことになった。自分の実家で遊ぶ。

それを聞いて母は興味がすごくでてきたらしく、あれこれ聞きたいと言い出した。

いろいろ気になることをできれば聞いてほしいとかなんとか。

まあ確かに気にはなるな、そう思って自分もなんとなく聞いてみようかと思っていた。

 

実際に会って、ひさしぶりとか言って。いっしょになって遊んで。

これが面白い、あれが面白い。新しいものをいろいろ教えてくれては一緒に笑った。

全然時間が空いてもいつもどおりで、それが楽しかった。

そしてあっという間に時間が過ぎていき、友人は帰っていった。

 

母は楽しそうだったのを感じ取り、今日の収穫について興味津々だったようだ。

そして、自分がいっさい聞こうと思っていた内容を忘れていた。

時々会話に詰まって思い出すとか、そういうことは一切なかった。

ただただ楽しく、あっというまに過ぎていってしまった。

 

着ていた服も思い出せない。

というかなにか世間話をした気がするが、あんまり記憶にない。

残ったのは一緒に楽しく過ごしただけの記憶。他のことはどうでもよかった。

 

そのときにわかった。大人が気にしていることとか、そういうのはどうでもいいと。

今を楽しく過ごすのに必要なことだけあればいいやと。

母がなぜ何も聞かなかったのか、何も気にせず生きている我が子を叱っていた。

が、それもまたなんだかおかしかった。楽しく過ごせた子供を叱るとはね。

理解できない、なんてばっかり言っていた。

自分は理解できる側になれてよかったと思う。楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 

ただ…申し訳ないのはなにか言いたいこと、相談したいことがあったんじゃないか。

そんなふうに思い出すことがある。言い出せなかったのかもしれない。

あまりにも自分が楽しみ過ぎていたから。いっしょに笑いすぎていたからか。

突然ふらっと来て、なにかしらあったのかもしれない。

そう思うと、ちょっと間を設けてもよかったかもしれない。

が、やっぱり自分は能天気だったのか。ただ会えて嬉しくって昔みたいに過ごしてた。

 

自分は間違っていたのだろうか。でも楽しかった。脳天気な人間で申し訳ない。

でも相談には乗りたいし、ちゃんと真剣に向き合ったこともある。

まあ、ただ日常的に遊ぶとき。

そういうときには細かいことは気にせずに自分は楽しむつもりだ。

その上で、いろんな話をしたい。話したいことを話せばいい。

だから、なんていうか大人っぽいことは友人づきあいでは考えないのだ。