かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

VRChatのプレイ時間が500時間に到達した

 

特別な世界から新しい日常へ

とうとうVRChatのプレイ時間が500時間に到達した。
VRChat界隈ではチュートリアルの半分が終わったなんて言ったりする。
半ばジョークだが、こうしてプレイ時間を自分の節目にするのはいいと思う。
 
プレイ開始から約半年、意外と早く時間が過ぎていった気がする。
でも自分がいかにVRの空間で長く過ごしたかを実感できる数字だ。
 
自分にとってのVRChatは、もはや特別なものではない。
最初はVRゲームをやっているという特別な状態だった。
でも今は違う世界で楽しい日常を送るということに変化した。
これは大げさな表現ではなくて、新しい日常としてVR世界に馴染めたからの実感だ。
 
最近はフレンドがそれぞれにワールドを作っている。
フレンドの作るワールドにはそれぞれに理想や夢が詰まっていると思う。
とても広い空間でのびのびと過ごしたい。桜の木がきれいだ。
とことんこだわった造形、面白い実験場。素敵なアバターたちの展示。
 
フレンドの作ったワールドで過ごすのは本当に楽しい。
人の家でいっしょに遊ぶようなもので、本当に居心地がいいのだ。
すべてが3D、そしてVRでリアルだからこその楽しさ、空間。
VRに慣れた同士が作るからVR空間としてのクオリティも高い。
 
自分もとうとう一つ、ワールドを作り公開することができた。
それは図書室である。
アセットストアと呼ばれる無料と有料の3Dモデルが販売されている場所で購入した。

ほぼ全部が自作ではないものの、組み合わせて自分のワールドを作成できた。
ありがたいことに今でも利用してくださる人もいて感謝しかない。
放課後、夕焼けの見える図書室にいつまでもいたい。
そういう願望を叶えられる場所ができたのは本当に嬉しかった。
このワールドについては後日書きたいと思う。

 

交流の変化

自分の体感として変わったことはもう一つ。
それはVRChatに入らなくても大丈夫になったこと。
今までは毎日ログインしていないと不安だった。
VRChatの人たちから忘れられないかが心配だった。
 
このゲームをやり始めてから寂しさというものの耐性がなくなってしまった。
いい人達が多すぎるせいである。にぎやかで、いつも楽しい。
人も多く、本当に寂しさというのを感じさせない毎日。
 
より多くの充実感を得たいからなるべく長く、多くの人と接したかった。
寂しさを満たされたからこそ、失うことの怖さを感じ始めたのだと思う。
耐性がなくなったというよりも、寂しかったという気持ちに気付かされた、が正しい。
 
最近こんな人だとは思わなかった、初めてあった頃と印象が違うとよく言われる。
それはその通りだと思う。すべてが自分にとっても想定しなかったことだ。
もうずいぶんと最初の頃からかけ離れた振る舞い、生活を送っている。
いつか飽きるだろう、いつか辞めるだろう。違うゲームもたくさんやりたい。
そう思っていたのに気づいたら半年間ほぼ毎日プレイしていた。
 
変わった、本性が出てる。そう言われるのは間違いじゃない。
というか封印していたわけでも隠していたわけでもない。
ただありのままでいていい、自分の気持ちを素直に出していく。
そういう安心感から徐々に変わっていったのだろう。
変わったとしたらそれはフレンドの人たちの作る安心できる空間のおかげだ。
 
もともとTwitterなんて広報用、真面目で自分の気持ちは最小限にしていた。
交流も少なめに、ただ文字通りつぶやくだけ。
それがVRChatらしいTwitterの使い方、文化にだんだん慣れてきた。
 
 
VRChatを中心にいろんなことが変わっていったなと思える。
そして、だんだんとTwitterなどを使うことでVRChatから離れても大丈夫と思えてきた。
ログインしなかった日もフレンドが今日あったことをまとめてくれている。
そういうものを見て満足できる。

 

外への変化

もう一つ、変化し始めたことがある。
それはVRChat以外の趣味にも手を出し始めたことだ。
今までは必死にVRChatに関わる技術をたくさん習得してきた。
ワールドの作り方、ライトの技術、アニメーション、アバターモデリング
それらは必ずしもVRChatだけには限らない。
だが、向いている方向はいつもVRChatだった。それは内側へ、深く潜る道だ。
 
それが、VRChatの外側へと大きくゆける道を教えてくれた。
Twitterでもつながっていて、フレンドたちがいて。
たとえログインする期間が空いても、きっとおかえりとひさしぶりと言ってくれる。
だからこそ外にも出て行ける。
 
VRChatは深く深く潜れる素晴らしいプラットフォームだ。
ほかにもバーチャルキャストなどVRコンテンツは日増しに増えていく。
多くの人がいて、技術の進歩、モデリング、イベント…。
たくさんの人が急いで駆けてゆく。それに追いつくのは必死でなきゃいけない。
そう思って苦しい気持ちを持っていた時期もあった。
 
だけどいつだって大事なのはそこにいる人たちだ。
VRChatというゲームの中で、自分がもっとも好きなのは、人という深いコンテンツだ。
どこまでも終わりのない、歴史が詰まっている。そして変化と進化を重ねていく。
 
そういった人たちとVRChatで出会い、過ごしていて怖いのは別れだ。
もしVRChatが終わったらどうしよう。違うゲームに移住するのか。
また楽しく過ごせるだろうか、忘れられるだろうか。仲間にはもうなれないのか。
きっといろんなことがあり、結局出会いは別れとも対になっている。
しょうがないこともあるだろうなと思う。
 
それでもよかったなと思える思い出をスクリーンショットと文章で残していく。
みんなきっとそうしてるんじゃないだろうか。

 

おわりに

VRChatをいいもの、最高のものとして急いで生きるのもいい。
だけど、それだけじゃなくて、また違うものにもつながってゆくというのもいい。
帰る場所、居心地のいい場所になってくれればいい。
 
そこにいる人たちが持っている、その周辺もまた素敵なものだと思う。
VRChatに深くのめり込んで、その後外へと興味が向いたのはいいことだと思う。
 
それは現実がいいものだからでは絶対にない。そういう価値観は好きじゃない。
VRは嘘だ、偽物なんていう話じゃない。現実もVRもどちらも等しく世界だ。
それは500時間過ごしてより強く確信した。
VRは究極的には脳に入る信号を完全に模倣できれば現実と相違なくなる世界だ。
むしろそれ以上の世界になる可能性を秘めたものだと思っている。
 
そういう現実否定派の自分が、一歩外に興味を持って踏み出し始めた。
そのきっかけは、人だ。どちらの世界にも人がいる。人の気持ちがある。
あいまいなものでしっかりとは感じづらい。そして嫌な人たちも両方にいるだろう。
それでもいい人たちと、いい人たちが作ったものが両方にあるのだ。
それはきっと変わらない。両方に必要なのは、それに接する機会と勇気だ。
 
 
500時間が折り返し地点というわけではないと思うけど、多くの変化があった。
次に1000時間に到達したとき、自分にはどんな変化が訪れているのか。
VRChatを始めたときからこんな未来はまったく想像できなかったように
これからもきっと予想もしない未来が待っていると思う。