先週末、とんかつを食べていてふと思った。
とんかつ定食のご飯は福利厚生じゃないかと。
こういうのはバカバカしいと思う前に思いついてしまうものだ。
なんでそういうことを思いついたのだろうか。
輝くとんかつをじっくり見ながら考える。
とんかつは単品でもおいしい。これはまぎれもないことだ。
そこにソースをかけて食べるわけだが、単体だとちょっと濃い。
食べ続けるには少し緩衝材がいる。
キャベツはまあ最悪なくてもご飯は必要だ。
つまりはとんかつこそが給与であり、ごはんはそれを支えてくれる福利厚生なのだ。
そう考えると、会社も給料だけじゃ寂しい。福利厚生も充実してると長く勤められる。
給料が良くても環境がよくなきゃ居心地が悪い。続かない。
ご飯を食べるところも同じじゃないかと。
ただとんかつを食べるだけじゃなくて、お茶もおいしければますますいい。
雰囲気も大事なことだ。給料と福利厚生の例えがすごくしっくりきて面白かった。
本当にそんなことを考えていたの?と疑問に思うかもしれない。
でも、実際ずっとそんなことを考えながら食べていた。
自分でもちょっとびっくりである。
傍目から見たら無表情でとんかつをもぐもぐ食べているだけだっただろう。
それがちょっぴり残念である。
自分はたぶん、だれよりも真面目にとんかつを食べていた。
そしてとんかつとご飯の関係性について会社になぞらえて考えていた。真面目に。
こういう考えは人には見えない。伝わらない。
だからこうして文章を書いてみて発信してみる。
そうするとこれを読んだ人が隣の人は大真面目に面白いことを考えてるかもと思うようになったら、なんだかいいなと思う。
その確率はかなり低いだろうが、無駄じゃないと思う。
別に面白い人になりたいわけじゃないし、馬鹿な人だと笑ってほしいわけじゃない。
そうじゃなくて、無表情で刺々しいと周囲に居心地の悪さを感じてほしくないのだ。
なにもわからない人は、たしかに怖い。無表情は不機嫌によく似ている。
でもそれだけじゃない人もいると自分でも確認しておきたい。
楽しく食べて機嫌がいい無表情の人もいる。
そうでない人が大声で暴れたりする印象が強いだけだ。
そういう強烈な印象ほど残りやすい。それは社会にとって不幸だなと思う。
だからこういう大真面目に間抜けなことを考えていたという情報だって大事だと思う。
大多数の人はきっとなんてことない幸せの世界に生きていると信じたい。
少数の不機嫌に負けないように、なんてことない幸せがあったっていいじゃないか。
そんなふうに思って書いている。
中身があまり真面目じゃないのに、書く動機はいたって真面目なことだってあるのだ。