タイムラインが闇落ちする仕組みをみて、本当にそうだなと思う。
過去、はてなブックマークの新着ニュースをコメント欄しか見ないと記事を書いた。
暗いニュースの中身を知りたくないからだ。
でも冷静にコメント欄を見てみると、炎上しているように見えるものがある。
一番トップに来るのは過激だったり的外れなものだったり、切れ味の鋭いものだ。
昔大学の講義で、感想を求められわざと的外れに答えたことを思い出す。
退屈だったし、堅苦しい雰囲気だったので笑いが欲しかった。
だが教授にぴしゃりとたしなめられた。
周りがどうとか気にするより、自分に真面目でいなさい。きちんと問いに答えよと。
その注意は部屋の空気を一気に引き締めた。
その後の講義はみなが真剣に受けるようになった。
とてもショックだった。自分がいつの間にか周囲の雰囲気に流されていたことにだ。
輪の空気が常に正しいわけではない。時に自分に真面目でいることが大事だと知った。
コメント欄を見ていると世間の風潮のように感じられることがある。
怒っている人がいる、面白い人がいる。
こういう人が受けやすいのか。これには怒っていいのか。
これは深刻な社会問題と認識しよう。国は何をやっているのか。
こういう考えは承認欲求と結びつきやすい。
大事なニュースを見逃すことは怖い。
そして世間と自分の考えがずれていないか不安になる。
それは集団に属していないとひとりぼっちになってしまう怖さからだ。
無意識のうちにそう考えていたと思う。
ネットで見れる意見はネットに強い人たちの意見だ。
全体の意見ではなく、狭い集団のとても尖った意見になりがちだ。
おまけにコメントまで書く人間はそんなに多くはない。
発信したところでマイルドな意見は注目を集めない。
だからコメント欄を見て、世間の雰囲気を掴もうとするのはやめようと思う。
自分という人間は世間とよく馴染んでいるから、いい人間と判断されるのか。
人によく思われたいからコメント欄を読むというのは健康的ではない。
むしろ読まないほうがいい。自分をきちんと持っていた方がいい。
あの人ニュースをたくさん見て情報をたくさん仕入れているけど、とても病んでいる。
あの人はニュースを全然見ないけれども、いつも朗らかでのんびりしている。
一般には就職などでニュースをちゃんと読みなさいと指導される。
ニュースを見ていないと話が通じない、つまらない人間と言われるかもしれない。
でもこの考え自体が世間の常識だとか圧力そのものだ。
世間の考えが合わずに疲労してしまうなら、やめてしまったほうがいい。
自分が世間に合わずに苦しんでいても世間は助けてくれない。
そもそも世間なんてものはない。
ニュースを読まない人間はつまらないと言ってる人からは離れていい。
教養がないという人からも離れていいんじゃないかと思う。
自分がポジティブでいること。
そして世間で毎日発生する雰囲気だとかに惑わされない普遍な知識を身に付けたい。
コメント欄はエンタメではない。答え合わせの場ではない。
問題に対して自分の考えつかなかった視点を得られるかもしれない。
でもそれは、人の答えを見て学んだ気になっているだけだ。
自分で気づかないといけない。
そういう考えは答えを見て賢くなっているだけだ。
人が気づかない部分に気付けてちょっと賢くなったと思っているだけなんじゃないか。
なるべく答えあわせをしないよう、コメント欄を避けて生活してみようと思う。
習慣になってしまっていて、気分がいいから抜け出すのは苦労しそうだ。