ブログに書きたいとき
なんとなく寂しくてTwitterをだらだら見てしまう。
こういう日は日記でも書こうと思った。寂しいという気持ちも書けば少しは和らぐ。
とりとめのないことを書く。アクセス数だとか見る人とか、そういうのは置いておこう。
トピックについて思ったことをメモ書きのように。
Twitterとかに気持ちをさくっと書くのは楽でいい。
タイムラインで他の人のつぶやきもさっと流せる。自分の気持ちも。
流れていくから、つぶやきとあるから、短くさらっと。
でも深い悩みとか、そういうのはTwitterには向かない。
どろっとした気持ちとか、もやもやとした気持ちは自分の場合Twitterじゃ晴れない。
でも文章を書いているととても落ち着く。自分の時間がちゃんと取れてる気がする。
自分の心のケアみたいな部分もある。
自分に対して、今日はどうしたのか?とカウンセリングしているような。
今日はなにがでてくるだろう?
ちょっと新しい挑戦として、前からやりたかったトピックごとに書きたい。
たぶん頭の中にたまったメモを吐き出さないと落ち着かない。
自分がブログという、自分のための書く場所を持っていて
— かやのみちゃ🍵 (@kayanomicha) July 21, 2019
本当に良かったと思うことが結構あるんだよね
考えの整理ができたり、気持ちを吐き出したりできる
落ち着ける場所みたいな感じかなあ
好きなことについて
世の中に出ている文章の移り変わりに着目していたのが面白かった。
言説が「もう自由だ、なにをしても稼げるなら好きなことをしよう」から
「これからは稼げなくなるから好きなことをやらないと」になっているそうな。
いいなあ。自分は好きなことをやっている、そう思いたい。
そう書いている時点で、揺らいでいる。本当は…と続く。言い訳もある。
便利な建前もあるし、上を見ても仕方がないとはわかっている。
贅沢な悩みだ。自分もできればブログを書いて、VRな仕事をしたい。
一方現実の自分をVRに近づけたくもない。現実は無情だ。
ずっと実態を伴わない電子の人間でいたい。
イーロンマスク、頑張ってほしい。
建築
Unityで建築もどきをやってみている。楽しい。そう思うときもある。
一方で基礎が全然なっていない。どういう手順で組めばいいのかわからない。
細部をさぼると全体のクオリティが一気に落ちる。
一方で最初からこだわると完成図との乖離が怖い。
経験値が足りなくてめげるばかりだ。そうやすやすとは作れない。
どこかにマニュアルとか課題とか作ってもらいたいものだ。
プラモデルでも買おうか少し悩んでいる。

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屋根が美しい。柱がきれいだ。こういうのをセンチを測ってみてUnityで再現したい。
寸法にとても悩む。逆に現実の建物がいかに均整がとれているか!
VRChatをはじめてしばらくたって現実世界をモデリング視点でみたりしていた。
でもそれだけじゃ足りなかった。長さなど実際に作る視点で見なければ。
真剣度が、自分でつくろうとする気概が足りなかったのだろう。
ところで検索していたのだが

トミーテック ジオコレ 建物コレクション 152 解体中の建物B 幅の広い建物 ジオラマ用品
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こういう解体中な断面がぼろぼろなモデルとはどう作るのだろう?
Blenderなど3Dモデリングを駆使して作るのだろうか?シミュレーション?
どうも自然に壊すのは難しい気がする。
実際に廃墟とかに足を運んで資料として使うのか。
断面のテクスチャとか大変そうだ。でもいずれ廃墟は作りたいものだ。
影響されやすい
結構ネットラジオが好きなので、影響されやすい。
このブログの内容もラジオっぽいようなイメージで書いてみた。
影響のされやすさはいい面と悪い面がある。
新しいものを取り入れるのが早いとも言える。
けれども自分で噛み砕くこともなしに受け入れてしまっている、とも言える。
元気なときはポジティブに受け入れて、疲れているときはマイナスに捉えがちだ。
Twitterかなにかで見たが、元気なときは自然と盾を構えているようなもの。
トゲがついたものがやってきても弾いたりトゲを無効化できる。
でも元気が無いときはぐっさりやられがちだ。それに気づかないことも多い。
かつて元気だったとき、こういうときはポジティブに捉えられてたなと思い出すこと。
そういうのが大事じゃないかと思う。
元気だったときの基準をもとに、今の気分や疲れを測定する。
あまり認めたくないけれど最近の自分は疲れているようだ。休んでいるのに。
でも事実として、ちょっとネガティブである。
そういうときは自分でもわかっているけれどショックな出来事があったのだ。
それをショックと認めると弱ってしまったりネガティブになるとわかっている。
弱さだと思うから認めずに、目をそらしている。が、つらいときはつらいものだ。
休んでいたって、なにもつらくなさそうにみえたって、他人と比較したって。
どうしようもないときはどうしようもない。
利口な人はサクッと寝ると思う。
けど利口じゃないのでこういうふうに書かないと寝られないのである。
おわりに
ちょっと前に「好きで創作やってるなら、再生数とか気にするのはおかしい」みたいな呟きがあって話題になってましたが
— カワイ タラ@ボーカル募集中 (@Tzara_Gudmundsd) July 21, 2019
僕は作品は自身の子供だと思っているので、精一杯きれいな格好させて「友達いっぱいできるかな」って出かけた娘がしょんぼりして帰ってきたら、それは親として申し訳なくなりますよ
しみじみと、そうだよね…と思う。
再生数とかいいねとか気にしない、気にしちゃいけない。
でなければ、心が落ち込むとわかっているから。期待すると落ち込むのがつらいから。
でも、一方でなにかを作ったときの反動というのは必ずある。
自分で精一杯を尽くしたあとに得るものはある。むなしさだってきっとある。
そこに「しょうがない」とかありふれた言葉をかけても、だめだ。
悲しいときは悲しいものだ。期待していないふりなんかじゃごまかせない。
どこまでも当たり前で、常識だろと笑う人もいると思う。
それが常識だと冷静に言えるなんて、ずいぶん軽い話だ。
たまにはぐちぐちと重くなるときだってある。わかったふりもせず、じめじめと。