かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

VRAAに応募してよかった。

 

嬉しかった

タイトルそのままの記事だ。VRAAとはVR Architecture Awardの略。VR空間デザインコンテスト。 自分もこっそりと応募した。Twitterで告知もせず、進捗も語らず。

正直なところ自信がなかった。怖かったし、自分が応募していいのか、実力が足りないんじゃないかとビクビクしていた。Twitterではすでに応募済みの作品や進捗、すごい人が参加表明してたり、とにかくプレッシャーがいっぱいだった。

 

今日、VRAAのポータルワールドが公開された。自分の作品があるというワクワクと、他の人たちの作品を見るプレッシャー。人のすごい作品を見ると圧倒されるし、すごいなあと羨ましく、苦しくなる。自分の心が狭さ、未熟さを実感させられる。

ああ、応募するんじゃなかった、自分の未熟さが恥ずかしい。ポータルワールドを見て回っているときはそんな気持ちでいっぱいだった。言い訳と愚痴とか…暗い気持ち。

 

そんな中、自分の作品が飾られているのを見て、
ああ、応募してよかったな、本当に、本気でそう思えた。

自分の作品がそこにあることが本当に嬉しくて仕方なかった。ああ、嬉しい。ちゃんと参加できてたんだ、少しでも賑やかしになれたか。ごちゃごちゃ書いてるけど、本当に嬉しかった。自分の作品が拙いとか、フルスクラッチじゃないとか、細かいことはどうでもよかった。

周囲の評価とか参加賞とか、そんなの関係なく自分の名前と作品がそこにあることが嬉しかった。何回嬉しいって書いたんだろ。

 

綺麗に飾られて、ワールドの全体のサムネイルとして全球のパノラマ画像が出てきて、本当に素敵だった。VRAAの運営の人にはとても感謝したい。ありがとうございます。

 

記録が残ること

バーチャルマーケット2ではクラウドファウンディングで自分の名前をワールドに記載できる支援プランがあった。

camp-fire.jp

自分は支援をしていなかったのだけれど、フレンドの名前を見て支援しとけばよかったと後悔した。ああ、ここに名前があるっていいなと。歴史に名が残っているんだ、それを誇りに思えるんだと。

自分は昔から名前が残ることに興味がない、むしろ恥ずかしいと思う人間だった。集合写真も苦手だし、文集も載りたくないし、賞だって欲しくなかった。大金を払って命名権をもらうなんて考えられない、なんの価値がある?と思っていた。

 

でも、こうしたイベントになんらかの形で関わって支援できたこと。そういうことが嬉しいんだ。自分を誇示するんじゃなく、自分がその時、そこにいたという記録。

バーチャルマーケットに出店している人たちの気持ちがわかった気がする。VRのイベントとして電脳空間にアーカイブが残り続ける。そこに自分がいた記録、作ったものが残る。それは素敵なことなのだと。そのイベントを成立させる礎になれること。それが嬉しく誇らしいことなんだろう。

 

反省

嬉しいという気持ちもあるけれど、反省もしたい。自然とそう思えた。

以前Twitterで見かけたこの言葉も救いになっている。評価が得られなかったのなら、努力不足。創る人間は強くなければならない。そういう価値観は、プロっぽい。でも悲しいものは悲しい。それはそれでいいんだ。

 

今回は評価を得られなかった。それは来場数から見てもわかる。でも自分は自分なりに好きなものを作れた。そして応募できた、展示された。嬉しかった。それはそれでいい。Twitterでも取り上げてもらって、感想を書いてもらえたりした。本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

次はもっといいものを作ろう。もっと考えよう。今日は本当にいい1日だった。ちゃんと作って、それが展示されて本当に幸せだった。ありがとうございました。

応募してよかった。次があるなら、また応募させてください。