かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

競争社会への理解

 

日常にもある競争

先日NetflixのF1の番組の感想を書いた。ほかにも思うことがあったので書きたい。
苛烈なドライバーたちの独善的に見える争いを見て思ったこと。
ひょっとすると一部の職業もこういう風に見えるのかも、と。


優れたチーム、設備、賃金。
F1のドライバーたちは優れたマシンとチームで自分のスキルを最大限発揮したいと強く願っている。いいところへ行くほど自分のスキルをより発揮する十分な機会が得られる。組織への帰属意識、恩義よりも自分の実力を発揮したい気持ち。観客や自分の国へ恩返しができるかもしれない。


一方で、どこの業界でもそうかもしれないがトップレベルの人材は苛烈さも許容されがちだ。スキルの高さはほかの面を補うほど魅力的なのかもしれない。何より過激さはSNSによってさらに強調され、沸き立つ。
組織に対するポイントだけでなく自分自身で外にアピールすることで、良い条件を引き出せる。組織と人、それぞれが駆け引きできるようになる。
来年も契約して欲しければいい走りを。だったらそちらもいいマシンとチームを。


こんな風な世界はそれこそF1のような世界にしかない、現実はもっと平凡。
でもF1以外のレースもたくさんある。いろんな競技があり、それぞれスターがいる。
ドライバーのスポンサーなどの話はさておき、競争という意味で似ている部分はあると思った。終身雇用ではなく、競争社会でよりよく生きること。

競争するのが好きではない自分だけど、競争を嫌って理解できないと拒むべきではないなと思った。一見して過激に見えることも、競争の中で生き残ろう、野望を達成しようとする強い意志の現れなのかもしれない。そこに熱狂する人々がいるから、憧れてその道へ行こうとする人が現れる。そこかしこに実はあるのかもしれない。