かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

形だけでなく、色を見る

 


自分で一からオリジナルな建物を作ってみたいと思って、まずは模写から始めようとした。ここでいう建物を作る、建築するとは3Dモデリングのことで、VRで過ごす空間づくりのためだ。


参考となる画像をGoogle検索でひっかけて、簡単そうなものから作ってみる。
がんばって作ってみると、細部が全然似てない。どうやっても再現度が上がらない。
そこでハッと気づいた。自分は実は物をちゃんと見てはいなかったのだと。

 

美術の授業でデッサンをやってみた時のことを思い出す。意外と人間はちゃんと物を見てないんだよと教えられた。デッサンは苦手というか嫌いだった。全く思い通りにならないからだ。見比べればはっきりわかる、下手だと。


自分はちゃんと世界を見ていないのだと思い知らされて、惨めになるから嫌いだった。
上手い人はちゃんと特徴を描いていて、褒められる。それ以外は、ちゃんとみてないだけ、努力が足りないだけ。格差がありすぎて、下手な自分を受け入れられなかった。今でも自分の手すら上手く描けないことをトラウマに思っている。

 

デッサンは好きじゃなかった。ちゃんと世界を見ていないという忠告もずっと忘れていた。絵を描く時限定だろうと。それは間違いだったことを知った。3Dの建築で模写して作ってみて初めて自覚した。自分は形ばかり気にしていて、色を全然気にしてなかった。気づくと物凄い恥ずかしくもなり、そして新鮮な気持ちになれた。

形ばかり気にしていたというのは、色なんて後付けでいいじゃんという考えだった。
3Dモデリングの世界では色、素材、画像のことをテクスチャという。表面に貼り付けて仕上げる。これはすぐに取り替えが簡単にできる。だから最後の最後でよくて、大事なのは形であると考えていた。


空間を作るのは形である。家具を置いて、どこに人が座るのかとか過ごし方を想像することが大事だと思っていた。たぶん転機になったのは、間接照明の存在に興味を持ったことだ。間接照明は今とても人気だと思う。


パキッとした影ではなく、ふんわりとした光でぼやかす。暖かい光で落ち着かせたり、境界線を目立たなくする。クールな光にしたり、白でキッパリと示すことで、空間がより引き締まる。光の存在感を感じさせない溶け込ませ方。空間の形もいいが、人気になっている光も取り込むことでより人が落ち着いて過ごす空間づくりのヒントになるだろうと。

 

そして間接照明の作り方、見せ方を少し勉強して試してみた。これは専門用語でライティング(Lighting)というらしい。余談だが、ライティングについてTwitterで呟いたら文章書きの人に見つかってしまった。全く違っていて面白い。この照明をリアルタイムで描画すると、PCの負担になる。光の計算を毎秒ごとにやるのは骨が折れる。


なので空間に予めこの量の光がある、壁があったらこのくらい光ると書き込んでおく。これをベイク(Bake)という。焼き込み、書き込みである。これを何度か練習に色々作ってみて、気づいたことがあった。

 

当たり前だが、照明の効果は壁の材質や色によって大幅に異なる。それは反射率などが異なるからだ。例えばステンレス製で表面がざらついているか、一定かどうかで光り輝くかぼやけるかは変わる。木でもデコボコしているか、色が黒いか白いかによって照明の効果は全く異なる。照明は壁の材質を塗りつぶすほど強烈な光を当てることはまずない。だったら壁を白く塗って照らせばいい。

 

これはたまたまパラメーターをいじっていて気づいたことだった。なんか思ったより暗いな?と疑問に思っていた。わかっていれば非常に間抜けなことなのだけれども、白いかべに明るい光を当てれば、明るくなる。ちょっと暗い色をした反射しにくい壁にはより強い光じゃないと、白い壁ほどの効果が得られない。

 

材質を変えるだけでなんで明かりのパラメータを調整する必要があるんだ?と首を傾げていた。どうも現代の3D描画を舐めていたらしい。てっきり同じ光量を設定しておけば壁の材質とか考慮されないだろうと。そんな複雑な計算するわけがないと思っていたが、実は現実っぽい物理現象を考慮していて現実っぽく描画できるらしい。

 

そこまで至ってやっと、ようやくわかった。色は光によって作られるのだと。光が一切存在しなければ闇である。闇に色はない。光が色をつくる。光にも色を持たせることができるが、光だけで主役にはならない。

 

物理の授業とかで確かに色は光の反射とか習ったのは知っていたが、実感はしていなかった。まさかUnityで実感することになろうとは学生の頃の自分は思いもしなかっただろう。おまけにそのきっかけはVRChatである。学生の自分、将来電脳世界で物理現象を実感できるぞ。よかったね。

 

これまで自分が作ってきたものには構造ばかり囚われていて、色がほとんどなかった。
あるとしたら空の青さとかばかりだ。それが自分が今まで世界をどうみてきたかを示しているようにすら思える。他の人は自分が作った世界を空虚だと思ってみられていたのだろうか?どうだろう。面白いことだ。


シンプルでいいでしょう、空の青さと影が好きなんですと言っていた。けれど本当は自分は色を見ていなかったのかもしれない。大袈裟かもしれないけれど、案外作ってみるとぼやけて注目していなかったことが丸わかりだ。自分の中にこれというはっきりした形がないから、選択すらできない。今、気づけてよかったと思う。