かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

情報を隠して正しく伝えようとするのをやめる

 

善意の要約

会社の仕事の進め方として上位者(マネージャなど)が下の人間に対して、「今の段階では余分な情報」「作業の上では必要のない情報」「予算などセンシティブな情報」を良かれと隠すことがあると思う。この善意の配慮は多くの情報は混乱のもとだから、作業効率のため最小限の情報でやることに集中して欲しいからだと思う。

 

自分は情報がたくさんあると嬉しいタイプ。隠れた意図などは細かな材料がないと推測しづらい。言われただけをやるのはそもそもリスクが大きい。実は比較検討として欲しかっただけなんてこともある。自分が知りたいと思う情報と、相手がこれしか必要ないと思い込んで伝えられる情報にはやはり差異がある。

 

基本的には善意が多いと思っている。一方で、たまに他人の尻拭いであることを隠したいとか、人間味溢れる事情が隠されていたりする。上位の人間がどう言うタイプか、自分がどう言うタイプかを説明して認識を合わせることが必要だと思う。その認識合わせを拒否した場合は、仕事がうまくいくことはないだろう。

 

情報を自分で取捨選択するタイプか否かが大事

自分は情報を大量に仕入れて自分で判断して、仕事を依頼してきた意図をできるだけ探りたいタイプだ。これをよろしくと言われた時は、退路は、既存じゃダメなのか知りたくなる。知っておくことで、やっているときにバックアッププランを見積もって仕事ができるからだ。

 

情報は多い方がいい。役に立たないように見えて、時間が経つと価値が出るものもある。取捨選択は受け取る側がして欲しい、好きなだけ持っていって欲しいと言うのが自分の価値観だった。なので自分のプレゼン資料、調査結果などはかなり詳細に書いていた。

 

だが、最小限のことを伝える方が効率がいいと考える人には向かないようだ。整理されていないと一蹴されてしまう。と言うか読まれないことの方が多い。情報をマネージメントしているのだから多い方がいいと思いきや、そうでもなかった。

気になる情報か、否か。気になったら作った人に聞いて終わりにするのが早い。そう言う前提で組むべきだった。一方でこれを過激化するとメールのタイトルが[重要・緊急]とかどうしようもないことになる。匙加減は大事だ。

隠すのではなく、最小限の情報で伝える。センセーショナルに書かない。(過度に気を引かない)今後の課題だ。

 

仕事とブログの立場が真逆だった 

さて、ここまでは仕事の話。ここからはブログの話。上記の話の真逆が今の自分のブログだなあと思って反省している。自分のブログはわりと情報をぼかして書いていた。誤解されたくなかったり、抽象化して受け取って欲しいと思っていたからだ。

 

例えばこのブログは教授との記事が一度バズっている。そのときの感想も色々読んだのだが、コメントに「どの分野かわからない」など書かれていたことが少々あった。これは正直、意図した通りだった。

教授の記事を書いたとき、このブログも自分のTwitterも著者に関する情報はほとんどなかっただろう。隠していたからだ。学部についても詳細には書かなかった。なぜならこの記事の一番大事なところは、ちゃんと報告連絡相談を細かくやろうと言うところであってどの学部だろうが関係ないからだ。

なのであえてぼかして、いろんな人に参考にして欲しかった。これは自分の学部じゃないから参考にならないと捨てて欲しくなかった。もしかしたら自分に当てはまるかもと。

 

ただ、何年か経ってSNSをそこそこやるようになってわかったことがある。きちんと自分のものにできる人は、なんでも「これは自分にも当てはまるかも」と役立てる。

逆に、自分のことにしたくない人は何がなんでも「これは特殊、一般に当てはまらない」とする。これはどんなに抽象化したり、情報を隠したりしても全く意味はない。どんな形でも。

 

当たり前のことなのだが、全ての人に自分の思うことを正しく伝えることはできない。自分の思いは伝わらない。全部が正しく自分の思い通りに伝わるなんて宗教チックである。削ぎ落として、抽象化して、多くの人に当てはまるように、感化されるように…

 

そう言う誤解、曲解には頓着しない方がいいと思った。どうぞご自由にお取りください、そして”自分で”役立ててくださいの方が平和だ。極度に誤解されたり、釣りタイトルとかをつけるのは問題だが、どうあがいても曲解する人にまで届けようとするのはお節介がすぎる。

 

論文も背景が正確な方がいい。ある条件下で使って、結果が得られた。これが一般じゃない!とか言うよりも、なるほどこっちでももしかして使えそうだな…と考える方がいい。

 

何よりも自分の進むべき道として間違っていると感じたことが大きい。

多くの人に受け入れられるように抽象化してぼやかして伝える技術を磨くよりも、きちんと背景などを説明して書いた方がいい。そして、自分のことに役立てられる人のためになった方が何倍もいい。「自分のことじゃない」と受け入れられない人のために書く技術を磨くよりも、ずっと。

 

と言うことで。このブログは、この記事は情報系の学部を卒業して、IT系の企業に勤めているソフトウェアエンジニアが書いたと書いておく。ある種の覚悟表明だ。

 

...ちなみにだが、こう書くと予想されるコメントとしてまだまだ抽象化抜けてなくない?みたいに書かれる気がしているけど、まあ許して欲しい。匿名ブログであることは続けるつもりである。それは各々事情があるわけなので。気にせずみてくれる人に届いて欲しい。