かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

よく寝ると幸せ

 

よく寝たと言っても7時間ちゃんと寝たってだけなのだが、ほんのり幸せなのである。
家から働ける状態なのでつい夜ふかししてしまうのだけど、ちゃんと寝て朝早く起きると幸せになれると思った。

 

昔は生きてるだけでつらい、悲しい、人生とはいったい…みたいな悲しい哲学じみた考えを持っていた。で、普通の人は普通に過ごしてるだけで幸せなんだよ、と教えられたことがある。

当時は「んなあほな!」だった。悩んで悩んでそれでも頑張ることが幸せになることだと思っていた。けど普通の人は、ただ何も考えてなくても幸せらしい。どうも信じられなかった。もしくは、もっと勉強すると楽しいこともいっぱいあるのに…と思っていた。

 

だが今はよーくわかる。何も考えていない時間でも、普通の人は普通に幸せなのである。デフォルトで幸せなのである。自分はデフォルトで不幸だと思っていた。それこそが普通であり、なにもせずに幸せな人は自分の不幸に気づいていないだけなんだと傲慢に思っていた。

 

残念ながら違う。栄養バランスを考えて食べて、不安なくよく眠り、よく運動すると基本的に人間は幸せになる動物のようだ。なんていうか精神に幸せバリアみたいなのが生まれるらしい。

食生活がぼろぼろで寝る時間が短い、不定で運動もしてないとどうも常にダメージを受けやすくなってしまうらしい。なにもストレスがない状態というのはめったにないから、基本不幸モードになってしまう。だが、ちゃんとした生活を送っていると驚きなことに「なんとなく幸せ」として生きていけるようだ。自分でもびっくり。

 

基本的に幸せという状態が根底にあるって、幸せなことだよなと思う。頑張らなくても基本幸せ。いいことだ。頑張らなきゃ幸せになれないという状態は、悲しい。他人にもっと頑張ることを勧める必要はないのだ。過去の自分よ…哀れなり。すでに幸せな人にもっと幸せにならないの?という必要はないのだ。

 

漁師とコンサルタントの話がある。魚釣りをのんびりやって生計を立ててる人に、MBA資格を持つ人が船買って会社起こしてニューヨークで…とにかく頑張ればもっとお金持ちになれると説く。で、その後はリタイアして田舎でのんびり魚でも釣ればいいよという。でも結局は今の魚釣りの状態に戻るというオチ。

 

いろんな面をこの話から考えられる。貯蓄ができるから安心できる、起業仲間ができる、いい経験になる。今日書いた文脈でいうと、今幸せな人にもっと頑張るともっと幸せになれるよ、というのは無益かどうかってことだ。

幸せならそれでいい。やりたくなったらやればいい。興味があることをやって、幸せになればいい。無理強いでもなく、相手の今の状態を不幸だと勝手に解釈しないこと。人それぞれの幸せってのはあるんだなと思う。

 

たぶん今までの自分の価値観だと、みんな基本不幸だと思っていた。不幸だけど頑張って幸福なように見せかけている、幸福を身につける、維持するために努力して、さらに幸せになろうとするのが普通だと思っていた。

そんなことはまったくなかった。自分で体感してるのだけど、具合がよく健康に寝て起きたときはただそれだけで幸せなのである。それっていいことだよな、それだけでいいのだろうなと思う。

 

まず基本的に幸せであること、足りていること。実はそれが大事なんだろうと思う。ちゃんと寝て、食べて、運動して…。そういう基本的な幸せを守ること。夜ふかしして楽しむとそういう基本的な幸せを失ってしまう。落ち込みやすくなるし、いろんなことを最終的に楽しめなくなり、不幸の穴埋めに使おうとしてしまう。

基本的な幸せっていうのは、代替が効かないのだろう。例えば寝不足で、運動不足で体がボロボロの状態で「プリン食べてるから幸せ!」なんてのは無理がある。そうじゃなくて「なんとなく幸せ」であって、「プリンうまかったなー」のほうがいいんだろう。

 

人生の大半をなんとなく不幸として生きてきたので、こういうなんとなく幸せってのは文字にするとすごい違和感がある。そんな馬鹿な!って思っているし長続きしないはずだ!とも思うんだけど、案外そうでもないというのが今のところの体感である。

 

ちゃんと寝よう。ちゃんと食べよう。ちゃんと運動しよう。基本的になんとなく幸せっていう状態を維持したい。