かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

誉れとはなんだったか、Ghost of Tsushimaの感想

 

むごい戦い

ゴーストオブツシマで何度も語られる「武士の誉れ」とはなにか。
死後も名前も残る、公正で雄々しい活躍や行動を心がけること、だと思う。
主人公・仁は武士としての誉れを捨て、あらゆる手段を使って敵を殺す冥人となる。

 

冥人とはおそらく造語で冥府から蘇った鬼よりヤバい奴という感じ。
手段的に言えば忍者なのだが、忍者がこの時代いなかった?
忍者自体が一般兵っぽさが出るので神格化したかったのかもしれない。
アサシンよりヤバい扱いだと思う。

で、なぜ手段を選ばず敵を殺す非道に堕ちてしまったのか。
それは蒙古、外敵があまりにも強かったから。


今まで内陸での争いでは武士vs武士でよかったのだが、外敵は武士の行いをしない。
しきたりを知らない、人ではない獣とすら表現される。実際超酷い殺し方をする。


一度主人公は死にかけ、対馬が蹂躙されてゆく姿を無力感とともに見る。
もはや蒙古を止めるには手段を選ぶわけにはいかないと武士の振る舞いを捨てる。

 

こうして見るとダークヒーローじみていてなかなかスカッとする。
数で勝てない、相手が無法なら、こちらも手段は選ばないのは普通だろう。
そうやって無法vs無法、なんでもありの酷いバトルが始まってゆく。

 

誉れは正しかったのか

ゲームのプレイ前やプレイ中はまったく疑問には思わなかった。だって蒙古強いし。
民を守るためなら仁の行いは真っ当なように思える。
でもストーリー中、対馬の長である志村には幾度となく批判される。
だいたい以下のようなことを言う。

 

民に誉れを見せ、秩序をもたらすことが武士の努めである
民に反逆を覚えさせてはいけない
(武士以外で個人のなんでもありの力で物事を解決してはいけない)

 

ネットではだいたい老害と言われ嫌われている志村。
ゲームをクリアしてしばらくして、割とまともなこと言ってたのではないかと思った。

 

数で勝てないから、相手が非道だからこちらも非道で対抗は駄目だ。

 

主人公である仁の理屈は、蒙古は武士ではないから武士のやり方では勝てない。
だからこっちも非道で!
でもこれ、現代日本で考えるとなかなかありえない選択ではある。(数の問題はあるけど)

 

 

この時代、武士はだいたい警察だとか自衛隊の役割を担っているはず。
警察は法律を守って動く組織で、法を破ってはいけない。
(あくまで道理であり理想としてね)


凶悪犯が街に大量に出て、対応できないから法律を破って対応じゃ駄目だろう。
ましてや警察官一個人が組織の法を破って行動することは許されない。
上司や組織がダメダメでも…

と書いてみて、うん。組織的了解を得ることはかなりキツい。
日本的駄目なところが元凶な気がした。


ただこの時代、法律はほとんど口伝的ものだろうし、民にもその意識はないだろう。
だから曖昧な誉れを守れという道徳的規範とかそういうので国を収めようとした。

 

ルールじゃ守れないものを守るためにルールを破る物語

刑事ドラマとかでもあるあるな感じだと思う。海外ドラマの24とか。
どーみても明らかに犯人で何十人と殺すヤバいやつでも証拠がなければ拘束し続けることはできない。


で、釈放した一日後に連続殺人再開…で刑事が勝手に射殺とか。でもそれは法律を超えたただの犯罪行為みたいな。


PSYCHO-PASS1期でも同じ問題が起こる。
近未来で犯罪者かどうかを識別する装置が認識できない犯罪者はどう扱うべきか?

 

現場において対応能力を超えた敵が現れた場合どうするべきなのか?
災害現場でも似たようなことは起きると思う。
情に絆されて決められたルールや領分を超えて対応すると、悲劇につながることも多い。


実際ゲームの中で毒を使うが、その毒を敵も使い出し民が何十人と実験に使われるという凄惨な結果にもなった。
また本土襲撃にも大量に毒を運搬することになり、蒙古の危険度がさらに高まる結果になった。

 

個人の独走の結果、事態が悪化したと思う。
こうして考えると志村が間違っているとも言い切れないと思う。ただそれは結果論。

 

志村のほうが民の犠牲を大量にだし、ルールばかり守ろうとするのが悪いとも言える。
これ、志村がもっと悪者だったら(悪者かもしれないが)仁を意図的に冥人として、後で尻尾切りすればよい。
警察が裏社会の力を借りて解決しようとするようなものである。ルールの意図的な見逃しというべきか。

 

誉れで出来た国

誉ればっかじゃ飯は食えません、そうだねで済む話ではない。
法律で飯は食えないかもしれないが、法治国家は法で成り立っているのである。
誉れでなりたった対馬という国で誉れを捨ててよいかどうか。

 

ひょっとすると対馬がこの先ヤクザ・ギャング的な国になってもおかしくはない。
そうじゃないと信じてしまうのはプレイヤーが主人公・仁の優しさを知ってるから。
ただし、仁の治世がいつまで続くかはわからない。

龍が如く神室町(歌舞伎町がモデル)は実質的にヤクザが幅を利かせている。
いいことも悪いこともやりつつ、街を守っているというストーリーに仕上がっている。
ヤクザはいるんだし、しょうがないねと諦めて受け入れられている。


でも実際にそこに行きたいか、住みたいかとしたら絶対嫌すぎる。よくわからんローカルヤクザルールがありそうだし。
同じように対馬がそうならないとは限らないと思う。考えすぎではあると思うけど、志村が言いたいのはそういうことだと思う。