かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

マトリックス 自分的考察ノート

何度見てもいい

マトリックスは黒い服、サングラス、かっこいいアクション、サイバーSFと心くすぐられる要素が多く、見どころがいっぱいあって何度見ても楽しい。


だが、台詞回しが謎めいていて展開も早くなんとなーくの理解で終わってしまう。
なのでセリフを打ち込みながらちゃんと考察してみた。

 

たぶん他のレビューサイトや個人の考察サイトはあるだろうが、自分で考えてみるというのはいいものだ。なにより自分がやりたいと思ったので、やってみるわけである。
ネタバレ全開で三部作を全体を通して考察していく。

ちなみに乱雑な文章で自分でかってに納得した、整理しただけのものなのでノートとして公開している。分量が多くてまとまらなかったというのが本音だ。マトリックスは難しい。

 

マトリックスは信じる、選択するというテーマなんだと思う。それだけは確かだろう。

 

ネオはなぜマトリックスというものに疑問を持っているのか

ネオは救世主であることがプログラミングされた存在である。ただし、トリニティがキーとならないと救世主の力(マトリックスに対して改変する力)は覚醒しない。


救世主はマトリックスに対して無意識な疑問を持ち、ソースへと帰還する運命が組み込まれている。(リローテッドでの創造主との会話)

なので冒頭からネオ、トーマスアンダーソンがマトリックス内でハッキング等で”マトリックス”という謎の単語を知っていても不思議ではない。

 

ザイオンマトリックスの支配から目覚めた人たち)はなぜ目覚められたのか?

初代or何世代かの救世主がそもそも選んだ存在。機械たちがそもそも目覚めるように仕組んでいたので目覚めた。自発的に目覚めることはおそらくない。救世主は疑問に持つ人達を目覚めさせることができる or ザイオンとして与えられた場所などから開放活動を行う。

そして機械はまとめて目覚めた人たちを観測、理解して抹殺する。次のマトリックスをよりよいものにリロードするために。なのでトリニティやモーフィアスも仕組まれている存在である。

 

なぜ預言者は運命を予測できるのか?あの侵入のためのプラグはなんなのか?

結構核心に近く、意外と物語の前提に慣れてぼんやり見過ごしがちな点だと思う。
たぶん人間の精神が我々の精神とは異なるためではないか?と思う。
実はマトリックスで過ごす人たちは機械生命体に近い精神を持っているのではないか?

 

ネオ、トリニティ、モーフィアス等はそもそもマトリックスで生まれた存在、もしくは繋がれた存在である。これは実は驚異的なことでかなりのオーバーテクノロジーである。

なぜなら人間の脳を謎のプラグにつなげばマトリックスに入ることができるのだから。おそらくザイオンの人(脳へのプラグ挿入口を持たない人)たちは永遠にマトリックスには入れないだろう。マトリックスに繋がれた人々は生まれた時点レベルで外科手術を行われているのだから。

 

そもそもなぜマトリックスに繋がれて、肉体と精神のフィードバックが起きるのか?
これは現代のテクノロジーを考えるとちょっと疑問だ。例えばソードアートオンラインはフルダイブシステムだが現実の肉体に影響を及ぼさない。(経験値としてはフィードバックされるが)あくまで機械的にダメージ判定して機械が肉体にダメージを与える。

 

マトリックスのあの謎のプラグは実際のところ何をしているのだろうか?
肉体から精神を取り出し、マトリックス内に入れているのか?なぜ肉体からプラグを抜くとマトリックス内でも死んでしまうのか?

 

仮説としてはプラグを抜いた際に情報の一意性をなくしてプログラム的に削除されるということ。これはあまり正しくなさそうだ。戻る肉体がないとマトリックスにはそもそも存在できないことになるが、うーん。微妙な話である。

仮説その2としては肉体から精神を取り出し、変換をかけて侵入している。人間用の精神と機械用、マトリックス用精神は違うという仮定である。フォーマットが違うのでプラグを抜かれると不整合が起きて死ぬ。これもまた違う気がする。

 

まあお約束でいいじゃんというのはわかるのだが、そうなるとリローデッド最後とレボリューション最初のネオのプラグ無しでのマトリックス侵入能力に説明がつかない。かなり重要なシーンであるとしか思えないので、きちんと普通の人のマトリックス侵入ルールは知っておきたいのである。

 

マトリックスは先入観、思い込みをしていると痛い目にあう物語だと思う。
実際、物語最初で幾人かが何度も説いている。マトリックスは存在しない世界であり、感覚でしか情報はなく、無視することだって強く信じればできるのだと。
映画としてマトリックス内で出会う人々のいくつかは完全にプログラムされた存在だ。
自分たちも映画として映し出されている人物が人に見えてもプログラムとして扱わなければならない。

で、実はネオは人間だと信じてしまっているプログラムではないかと思う。もしくはプログラムに進化してしまった人類ではないか。

 

マトリックスは機械が支配する仮想世界であり、フォーマット、記述されているものも機械が扱えるデータフォーマットである。当然人間たちもプログラム化されているのだろう。なのであのプラグはプログラム変換用またはプログラムされた精神を投入するものではないだろうか。

 

もしかするとすべてのマトリックスにつながれた人々は精神がプログラム化されているのではないか、もしくは通常の脳とは異なるものなのではないか。それによってルールが刻まれており、マトリックスからプラグを抜かれたとき、精神が肉体に入っていないと死亡すると。マトリックスから目覚めた時点で死亡を義務付ければ機械的には安全だが、マトリックス繁栄のため、のちのまとめての抹殺のためそういうルールは書かれていないことになる。

またレボリューションでスミスが現実側の人間に入り込んだことからもわかる。機械側の精神は人間に侵入することがおそらくできる。スミスだけ特別というわけではおそらくはないはずだ。

 

ということで最初に戻るが、預言者や創造主がなぜ人間たちの運命を予測することができるのか、プログラミングされたようなことを言えるのか。答えは人間の精神を実際にプログラミングしているからではないだろうか。

 

重要なテーマ:信じるということ

これは全編に通じる実はめちゃめちゃかっこいい、人間らしいテーマである。
モーフィアスのテーマでもあり、ネオが受け継いだものであり、すべての人が最終的に持ち得たものである。
かっこいいアクション、謎めいたストーリーよりも重要なものだと思う。

 

そもそもザイオンの目的とはなにか?
答えは機械生命体との戦争を終わらせることだが、そのための有効な手段は持ち得ない。いくら人を解放していってもぱっと見た感じ3万人以上はいないような気がする。ザイオンの手段は人を開放する以外にはたぶんないだろう。いろいろ調査をして、防衛拠点を築いて、対抗手段を探しているうちに機械に攻め込まれて終わりというパターンで敗北が決まっている。

 

一方でモーフィアスは狂信的だ。預言者を信じ、救世主がなんとかしてくれる、自分はそれを導く存在で、そのためには命を落としてもまったく問題ないと信じ切っている。
ただしなぜネオがそうだとわかったのかは不明瞭である。もしかするとマトリックス内でモーフィアスの存在に気づいたのがネオだけだったのかもしれない。

 

そして預言者との会話。自分が救世主かどうかは自分が信じるかどうかだと言われる。ネオはそうではないと答える。ただ、この時点で預言者はわかっている。ネオは”まだ”救世主ではない。覚醒していないから。自分で自分を信じることで真価を発揮する。

 

そしてモーフィアスが危機に陥ったときネオは運命を自分で選択して決める。モーフィアスが信じていることがわかったと。
これは会話が高度にテンポ良く進むのでなんとなーくネオが信じて頑張ったんだなぐらいにしか思えないのだが…。

 

ちゃんと書いて考察してみる。モーフィアスは盲目的に信じて突き進み、実際に命を捨てる行動をとった。モーフィアスは信念の人である。たとえ誰も信じていなくても自分の行動はきっと戦争を終わらせることができるのだと。
リローテッドではモーフィアスはこう演説する。私の先にある道が私を導いたのではない、歩んだ道が私を導いたと。運命や予言が導いたのではなく、自分が選択した過去が自分を今も導き続けているのではないか。

 

ネオは預言者に自分の命かモーフィアスの命を選択すると言われた。だが、運命など信じてはいけないとも言われる。自分の人生を自分でコントロールしろと。

矛盾しているような言葉なのだが、それこそが”自分を信じろ”ということなのだろう。
予言に頼るなと。予言自体を信じるのは自分自身であり、運命や予言によって自分の人生を勝手に決めるなと。予言を信じるという選択をしたのは自分自身である。その自分自身の判断を信じるのだ。

 

だからたぶん、ネオは新しく自分を信じたのだろう。モーフィアスをきっと助けられると。そして自分を信じるという新しい力を手に入れうまくいくのであった。
が、予言通りモーフィアスを助けた結果、一度死ぬのである。
復活するので予言は成就しているのが面白いところだ。

 

リローテッドの予言について、預言者をなぜ信じられるのか?

預言者を信じることができるのか?と預言者に聞く。ところがそれを証明する術はないものの、私(預言者)はもう知っているという。もうあなたは信じているのだと。

ネオは黙る。まあ人がいいし、実際信じられるし、ザイオンは窮地でなにもできないので信じるしかないというのが実際だろう。たぶん人がいいし、直感的に信じてるんじゃないかな、感情的に。

ではなぜ自分自身(ネオ)が決めるのか、選択することになるのか?と聞く。
それは預言者に聞くことではない。本当はなぜ決めたかを理解するために聞いているのだと。これは予言についての面白い言葉だと思う。

 

預言者はネオに対して選択する、としか予言しない。選択肢の直前までだ。こう選択する、とは言わない。そこが面白いなあと思う。普通、予言ならもっとはっきりしているだろうに。ネオにあなたは死ぬとは予言しないのである。

ではネオはなぜ決めたのかを理解できたのか?預言者を信じた理由はなにか?
リローテッドの重要な選択はザイオンや人類の存続とトリニティの命だ。そして創造主はすでにトリニティを選ぶと知っている。そろそろ人類を滅ぼしたかったのかもしれない。

 

ネオがトリニティを選ぶ理由はただただ愛しているからである。なぜ人類の存亡よりもトリニティを選ぶのかを理解していないと未来は見えない、と預言者は言っていたのだろうか。これは1の逆パターンなのがミソなのだろう。トリニティがネオを信じることでネオは救世主として蘇った。今度はネオが自分自身を信じ、トリニティを蘇らせる。

預言者がプログラムとして存在する理由はマトリックスをよりよくすること。だが、そこについてマトリックスから人を開放するということにたどりついたのではないか。人と機械は争うべきではないと。預言者自体がなにかをしたのか、それはわからない。

預言者は信じていた、と最後の最後にいう。ネオをうまく導いたのかもしれない。だが、彼は私さえも信じさせたという。心を開かせたのか、協力させたのか。

 

エージェントスミスの目的はなにか、なぜあんなに強いのか?

マトリックスの完全な掌握、ならびに機械世界の掌握である。
とにかく無制限に強くなることが目的である。
エージェントスミスが自由なのにマトリックスにいる理由はネオの力を目的として奪うために存在している。

またネオの力の本質的な力、機械世界のソースへとアクセスする力を持っているのでネオが強くなると自動的に向こうも強くなるらしい。ネオのマイナス方向に強くなっちゃった存在と語られている。

もしかするとネオがハッキング的にマトリックス脆弱性を突いて改変することで、ますます脆弱性が広がって、ウイルスの存在であるスミスも活動しやすくなるということなのかもしれない。

 

ネオの最終的な力について

創造主に意識が変化していると言われる。これは救世主の力に目覚めたからと思うが、実際そのとおり意識が人間から機械寄りに変化しているのかもしれない。なので機械世界のデータを読むことができるようになった。

ネオはプログラムの世界(マトリックス)と機械の世界のつなぎめに入り込んでしまう。マトリックスは機械の世界につながっている。いわばVM、バーチャルマシンの扱いだろう。

 

マトリックスはノートPCで、メインのデスクトップPCにつながっているようなもので、マトリックスを改変する力を得たネオはメインのPCにすらアクセスできるようになったということらしい。これはセキュリティでいうと権限昇格に近いだろう。超絶危険である。トップレベルの脆弱性である。
どうしてそうなったか?根源的に脆弱性を内包してしまったということだろう。

 

マトリックスは不具合として利用者が不満を抱き、将来的にクラッシュしてしまう。なのでわざとマトリックスから開放し力を与えつつも、開放した人間を人質にして新しく取り込み直して再起動を何度も繰り返す。危なすぎるプログラムである。
マトリックスをよりよいものにするため、利用者に権限昇格を許したのである。その結果自分たちの世界にすらアクセスできるようにしてしまった。

 

で、その力が実はスミスにも受け継がれているという緊急事態である。MMORPGやそもそも普通のシステムなら監査が入って即日停止処分である。そりゃあ一大事だ。だが、いまのところスミスはネオにご熱心でマトリックスの中に留まってくれている。これによってネオは機械世界との取引ができるようになった。そしてスミスがネオを取り込んだ際に機械世界側から強制自己破壊コードを埋め込み、まとめて全部消し飛ばしたということだ。

 

ぶっちゃけマトリックスの責任者は引退したほうがいいレベルである。よく創造主生きているな、というのが素直な感想だ。機械世界側からなんらか処分が下っていないのが不思議である。いや下ってたのかもしれないけれど。

 

ネオが戦い続ける意味について、最終的に死ぬことがわかっていながら

ということで最終的にネオはスミスに取り込まれて削除される運命にあるのだが、それでも戦い続ける意味があるのか?とスミスは戦闘中ネオに問いかける。それに対するネオの回答は結局、マトリックスの”信じる”、”選択”というテーマに対するなによりの回答になっていると思う。非常にシンプルで力強い、人間らしいかっこいい言葉だ。

「自分で選んだからだ」

運命として予言されていても、死ぬことがわかっていても信じるという選択を自分で選んだから、それをまっとうすること。シンプルで、なかなかできることじゃない。だからネオはかっこいいし、マトリックスもいい映画だなと思う。