かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

鑑賞と間違い探し

 

VRChatで家などを作って公開している人でよくある悩みがあると思う。
それは「感想よりもデバッグ報告が多い」ということ。
例えば壁に当たり判定がなくて宙に投げ出されるとかそういう。
あとは影がおかしいとか、継ぎ目が変であるなどのご指摘だ。

 

これについてさいとうなおきさんの動画を見ていて、ふとわかった。
実はデバッグ報告している人も、それはそれで楽しんでいるんじゃないか。
間違い探しゲームをやって、その答えをいわずにはいられないんじゃないかと。

youtu.be

上記の動画で〇〇さんに似てますね!って言われることについて、
パクリ!とかいろいろ疑心暗鬼に描いている側はなってしまう。
けれど、実際に言っている側が伝えたいのは「だから好きです」ということだったり。

 

同じようにワールドのバグ報告はダメなところ探しをされて、
「手を抜いてる、下手、雑、リアルじゃない、クオリティ低い」という指摘ではなく
単に「間違い探しして答え見つけたよー!」という無邪気なご報告ではなかろうか。

 

鑑賞している人はそこに何が描かれているか、何が主題かなどを読み解いてくれる。
だからバグや作りが粗い部分には目をつむってくれる。
何を作りたかったかを評価してくれる。

 

一方で間違い探しを楽しむ人は、間違いを見つけることが好きだ。
謎解きなどが好きなのかもしれない。
自分の中の違和感センサーを磨くのが好きなのかもしれない。
ただ、それはそれで楽しいだろうし、感謝されることもある。実際助かることも多い。

 

別にバグ報告する人が悪いわけじゃない。甘いことを言ってほしいわけじゃない。
バグ報告を一切されずにYesマンしか居なくなったら成長が止まる。
だから感謝はしているが、自分の中でつらい気持ちにどう整理をつけたらいいか。
それがわからなかった。どう受け止めたらいいのか。

 

なぜならVR、創作ではきっと現実のリアリティを完全に模倣することはできない。
批判をする人を完全に満足させうる未来は一生来ない。
ならばバグ報告は永遠にやってくる。永遠になにかを指摘され続ける。

それをどうやって自分の中で処理するか。それを受け入れるにはどうしたらいいのか。
そういう人たちのモチベーションはなにか、自分はどういう対応をすべきか。

 

たぶんだけれど、指摘する人は指摘を楽しんでいる。そう思ったほうが精神的に楽だ。
指摘は受け入れよう。楽しみ方は人それぞれだ。
不満だから指摘しているんじゃないのだ。間違い探しを楽しんでいるのだ。

なので間違い探しの報告を受け入れるかどうかは自分次第だ。
自分は間違い探しの題材を作りたいわけではなく、鑑賞して楽しんでもらいたい。
それはそれとして、修正すべき点は修正する。鑑賞や楽しみに影響するなら。
そういうバランスを自分の中で持てばよいだろうと思う。