かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

王立宇宙軍 オネアミスの翼 感想

必要ではない物語

王立宇宙軍は宇宙開発はロマンだなと改めて思うアニメだった。
そして、アニメそれ自体も娯楽全般も全部含めて言えるとも思った。

ストーリーは無気力な主人公が宗教のビラを配っている少女と出会う。
少女に宇宙へ行くなんて素敵ねと言われる。
それで目が覚めて宇宙飛行士に志願、仲間と真面目に宇宙を目指すようになる。

途中でロケット開発なんて予算の無駄とか世論に責められたり、暗殺者差し向けられたりする。波乱万丈だったけど無事ロケットは打ち上げられ、物語は終わる。

 

この物語はロケットで打ち上がって、それでおしまいだ。地上には戻ってこない。
衛星となった中で主人公が地上に向けて放送する。
人類はとうとう宇宙にまでやってきた。そのことを祝福しよう。
そして人類の行く末に祈りを捧げようという。

 

宗教のビラを配る少女から始まった物語が、宇宙飛行士の地上への電波の祈りで閉じるのは面白い。
そしておそらく、両方とも誰の耳にも届いていないのがさらに皮肉的でおもしろい。
多くの人たちは宗教を気にしないし、宇宙への到達も喜んではいない。
ただ日常が続いていくだけで、人間の本質は何も変わらない。争って奪い合って続いていくだけなのだ。

 

宇宙でおそらく誰も聞いていない、うまくいったかもわからない放送をする。
それにいったいどんな価値があるのだろうか?ロケット開発なんてやはり金の無駄遣いじゃないか。物語の中でもロケット開発は批判される。地上で橋でも作ったほうが人の役に立ってマシだと。

 

物語の後半、発射秒読み段階で敵軍が攻めてきたときに答えが示されていたと思う。
ロケット打ち上げなんて命をかけることじゃない、そんな言葉に反論する主人公。
ずいぶん長い間ロケットをずっと開発してきて立派だったじゃないか、と。

 

俺は最後までやりたいんだ、と。そして各部門に問いかける、君たちはどうなんだ?
各部門は異常がないことを伝えロケットの秒読みは再開される。

なんの役に立つかはあまり語られない。けど続けてきて立派じゃないかと。
やれることをやりつづけて、やり遂げる。それは立派じゃないかと。

 

ほかにもこんな台詞もある。自分の人生を俯瞰したとき、もしも自分が悪玉だったとしたらどうしようかと。
それに対しては善か悪かではなく、誰かに必要とされているからそれはそこにあるのだと。誰からも必要とされていないものは人知れず消えていくのだ。そこにあるなら、誰かが必要としているのだと。

 

ロケット開発は誰かが必要としていて、やり遂げようと多くの人たちが挑み続けてきた。それが立派でいいじゃないかと、そういう話である。
もちろんいろんなお題目もある。ロマンがあるのはわかる。
費用は膨大。犠牲者もいっぱい出る。それでも誰かがやりたいことをみんなで叶えようと努力していく。

 

期待されず、けれどきっと誰かの役に立つ

これは実はある意味でアニメそのもののメタファーのように思えてならなかった。
アニメなんて必要ない。アニメは見なくても別に人生は生きてゆける。

アニメに人生をかけるよりも、鉄鋼業とかそういうのをしたほうが人類の役にいくらかたつだろう。映画だって同じだ。映画の予算でどれだけの人の貧困を救うことができる?なくてもいいじゃないかと。

 

王立宇宙軍というアニメそれ自体にもそれは言える。
ロケットを飛ばすだけの物語にいったいどれくらいの予算を積んだ?人の時間をかけた?なんのために作ったのか?別な物語でもよかったのではないか。もっといい題材などがあったのではないか。

 

でもそれに対する答えは「やりたかった」これだけなんだろうなと思う。
そしてやり遂げたのだろう。

 

王立宇宙軍のスタッフにはエヴァンゲリオン庵野秀明監督が名を連ねる。
プロフェッショナル仕事の流儀で発言していたことが印象深い。
自分にはアニメを描くぐらいしか世間に貢献できないと。

 

アニメは誰かに必要とされているのか。たぶん最初は必要とされていなかった。理解されなかったと思う。けど年数をかけてファンが生まれ、認知されるようになり、今では必要なものと思われている。先人たちが作りたい思いで続けてきたものを、様々な人が引き継いで今も続いているのだろう。

 

そこにアニメが世界のどんな役に立つか明確に示されなくても誰かが必要としている。
それだけで十分な理由になりえるのだろう。ロケット開発も同じだ。必要とされ続いていく。

 

個人的な意見だけれど、必要なことばかりじゃ視野が狭くて未来は閉ざされると思う。
仕事で開発しているときも、突破口はひょんなことから生まれる。
リラックスしたときや遊び疲れたあとで思いついたりする。
めぐりめぐって何かの役に立つのだ。
それが明確でなくても、必要とされるひとはどこかにいて、どこかできっと役に立つ。