かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

プログラミング的生命システムへの理解

 

作業用だったりご飯の休み時間によくYoutubeを見ている。
ジャンルは科学、勉学系。アニメとか音楽でもいいのだけど、有意義な時間にしたいと思っていろいろ探している。
で、今日見た動画が非常に面白かった。

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まあ重いテーマだとは思うけど、語り口調は非常に理知的で感情を含んでおらず、永遠に生きられるか?に対しては「まだわからない」とよいスタンス。断定したりしないのがいいところ。できないとも言わず、できるとも言わず。そこまで人類はまだわかってない、という感じだろうか。言い回しが専門的な気がして好感。

 

で、自分が面白いと思ったのは哺乳類の生殖システムについて語っているところ。
だいたい6:11~のところである。


この動画では環境への適応という面でDNAをかけ合わせた生殖システムが有利だったと述べている。だが、DNAは長期間経つとキズが生まれ、蓄積されてしまう。
この状況で永遠に老いない、永遠に生まれる個体がいる場合、DNAのキズついた個体と新しい個体が生殖してしまう恐れがある。すると、キズがますます蓄積し、最終的に種全体にキズが伝搬してしまうと。

これを防ぐために一定時間経過=寿命によりDNAの鮮度が低くなった個体がDNAごと消去される。このシステムが現代で生きる生物の生命の仕組みであると。

 

さて、なんで面白いと思ったかというとプログラミング的実装のようだと思ったから。
新しい処理をするとき、ある程度世代の古いデータを参照しないようにし、メモリから開放する。ずっとデータを残しておいても意味がないし、引き継がれているなら削除したほうがメモリ=資源として有利だからだ。

 

再帰的計算とでも言うべきか。最終的な結果を出すまでにメモリ空間を節約するには序盤で使った数字は次の計算に引き継がせて消せばいい。

生命も同じような仕組みだと思うと納得がいくと思った。
我々はDNAという情報を保存するために生きており、種が絶滅しないよう掛け合わせるパターン数を増やすために長生きする。種の保険というやつだ。

 

人間社会においてはもちろん、最低限度の生活を営み幸せになる権利的なものが保障されている。たぶん。で、文化的にも個人個人がそれぞれの満足の行く幸せを追い求めて生きる。自分がいた記録を残したがる。引き継いでもらおうとする。でもって長生きして、幸せを感じる時間を長くしたがる。文化の発展を見届けたくなる。

だが、それは正しいことなのか。長生きするのが正しいのか、長生きするだけでいいのか。長く生きることは生命にとってプラスなのか?生命の目的は長生きすることなのか?ずっと疑問だった。

 

この動画が完璧に正しいとは言えないだろうと思う。例えば生命システムにおいて生殖のみを止めて長生きできるようにすればDNAが傷ついても、個体が長生きしても問題ないはずだ。一方、新しい個体のために寿命で倒れることで食料などを食い尽くさずに済む可能性もある。

 

おそらく単純な生命システムにおいては個体が長く生きることは想定されていない、というかたぶんどうでもいい。DNAキャリアとして働いてくれれば問題ない。DNA同士の組み合わせの発展で種が繁栄できるシステムになっていればいい。

書いていて気づいたが、人間は長生きにプラスの意味を持つことになったのだろう。
文化の発展と継承。人間という種族は老いても知識を伝搬させたり、資源の生産が可能だったり、新たな研究による発見をすることができる。それにより、種全体が発展、長生きしやすくなる。

 

長生きするにつれて生命本来のDNAキャリアの役目を終えていく。だが、人間社会はそうじゃない。文化に寄与することで種全体に貢献することが可能になる。

そもそも人間は生命としてはかなり脆弱だろうし、寒さにも暑さにも相当弱い。移動距離も短いだろう。でも繁栄しているわけで、それは知性のおかげであり、人間社会というものがそうさせているはずだ。

原初のシステムである生命、DNA、生殖機能。それらも大切ではあるが、一方人間の知性によって生まれた社会システム。これらは原初のシステムよりもさらに強固なものではないかと思う。

 

まあここまで考えて、DNAを解析してしまいデザインできるようになれば生命システム書き換えちゃっていいんじゃなかろうかと思ってしまう。いくらでも掛け合わせて多様性は確保できるだろうし、組み合わせや情報自体も別の媒体で保存できるはずだ。

なので太古の種が繁栄するという目的は、人類の技術力の進化によって達成できるのではないかと考えてしまう。個々人の生殖などによらず。まあ、一方で人口が減少してしまえば研究も捗らないだろうし、そうもいかないか。

 

というわけで、人類には二種類の繁栄システムがあると思った。一つは太古からの生殖システム。もう一つは人間社会。それによる技術の発展。技術の発展でDNAキャリアをより安全に、健康に、数を保つことができる。

ここまで書いて思うのは、結局生殖システムに参加できなかったとしても、現代においては経済を回したり、なんらか文化に参加することで人類という種族に対する貢献はなにがしかできているんだろう、ということ。引け目に感じる必要はないはずだ。

 

たまーに人と話していて優秀な遺伝子だけ残してほかを切り捨てればもっとよくなるという思想を持つ人がいたりする。が、それはまあ間違いであることは二種類のシステムの面からも明らかだ。一つは優秀さは多様性とは違うということ。もう一つの面から見れば社会の一員として生きてもらうことで、人間社会はより強くなっていく。


生きるとはなにか、生きている価値はあるのか?現代ではよく考えてしまうテーマだと思う。年齢を重ねれば、なおさら。将来に不安があったり、時間を無為に過ごしてないか、すごい人を見るたび自分のなにもできなさ、社会への貢献のできてなさなどを感じてしまうことも多い。

けれど、こういった生命システムの解説動画を見ると基本はすごくシンプルで大雑把なものだと思う。プログラマーとしても、ああその実装はシンプルで面白いなと思ってしまう。

 

なんやかんや周囲の圧力やら世間の風潮だとか感じたりしてしまうこともあるけれど、自分なりに生命への答えを持って生きていきたいなと思う次第。動画一本でいろいろ考えてしまった。