かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

人気と信頼は別物

 

ブログを書いてネットに公開している身だが、人気なろうとは思わない。
昔に書いた記事が多少ヒットしてわかったけど、身が持たない。
それよりは信頼されるような人間として扱われたほうがよいだろう。

 

人気になろうとするのは、収益化だとか承認欲求を満たしたいからだろう。
ただ言ってしまうと人気商売での収益化なんてほぼ無理だ。
なによりキャラクター性というのは、自分をガリガリ削って出すようなものだ。

クラスの中の人気ものになりたいとき、自分にあってないと痛い目にあう。
いわゆる”いじられキャラ”問題。多くのいじられキャラは傷を持つ。
ホントは嫌なのに、人気になっているから抜け出せない。日陰者は嫌だ。
そういうジレンマのまま卒業まで待つか、心を病むか。

 

インターネットは才能にあふれた人間が集まる場である。全世界で。
天性の人気者がいる。企業に後押しされて”設計された”人気キャラがいる。
オーディションで勝ち抜いた人がいる。お笑いの場でセンスを磨いたプロがいる。

そんな中で”面白さ”という自分の性格に依存するような力で戦うのは難しい。
むしろないと思ったほうが楽だ。自分のキャラで勝負するのは無理がある。

 

じゃあどうすればいいのか?というと、個人的には”素直さ”が良いと思う。
変に飾らない、無理しない。キャラクター性で売らないことだ。
そうじゃなくて、コンテンツの中身、質で勝負すること。

 

自分の根っこが大学の研究という良さに取り憑かれてるからかもしれないが…
論文に面白さはいらない。キャラクター性も。そうじゃなくて、ちゃんとやってるかどうか。質がいいかどうか。信頼できるかどうか。
そういう世界がある。

Youtuber、Vtuberなどエンターテイメント系の動画コンテンツを作るとき
おそらくは面白さなんてありふれている。リアクション芸も。
そうじゃなくて、需要が安定していて、キャラクターに依存しないコンテンツ。
それはちゃんとした技術的説明、レポート、論文のような固いもの。

人気にはならないけど、必要な人にきちんと全部届けられること。
それこそが自分を削らずに済む方法なんじゃないかと思う。

 

つまり人気になるような、自分を削るコンテンツじゃなくて
誰かに信頼されるようなコンテンツを作ったほうがよいということ。
この世界で人気になるにはメリット、デメリットが大きすぎる。
炎上にもつながるだろうし、ぼちぼちとコンテンツの質を高めたほうがよいだろう。

 

まあ、自分がそういうコンテンツを作れているかと思うと微妙なわけだが。
とはいえ人気を目指したコンテンツづくりは今後もしない。
自分の好きなことをやりつつ、面白さを売りにしない、真面目なことをやりたいと思う。