かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

世の中に絶えて

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撮るのがあまりにも下手だった桜。

ブログに写真を載せるとそれっぽい(?)ということに気づいた。
下手な写真でも楽しそうなので、なるべく載せようと思う。
今回の写真は何も考えずに撮った下手っぴ桜。でも自分はこれでいいのだ。
大事なのは写真ではないので。

 

昨日だったか、雨が降って近所の桜が散っていた。水たまりにたくさんの花びらが落ちて綺麗だった。今年も桜をちゃんと鑑賞できなかった。桜よりも水たまりに落ちた花びらをじっと眺めている時間の方が長かったかもしれない。

 

桜をゆっくりと眺めたのはずいぶん昔のことだ。東京に来てからというもの、人混みが嫌いだからと桜を避けている。田舎にいた頃はふと足を止めてそこらに咲いている桜の木の下でぼーっと見つめたりした。夜に散歩して、街灯に照らされた桜を見たり、楽しかった。

 

綺麗な桜、たくさんの桜を見に行きたいわけじゃない。すごい写真が撮りたいわけでもない。人がいないところで、不審な目を向けられないまま、ぼーっと桜を眺めていたい。そんな気持ちがあるわけだが、なかなか叶いそうにない。

 

結局、観光地じゃなくて田舎に帰って、なんでもないところを散歩するのが自分にとってよいのかなと思う。旅をしようと思っても、田舎に帰るのはルーチン的すぎるというか、新鮮味がないなあと思ってしまう。けど、人間新しいところにいくのは疲れるし、心を休めるのならそれでいいのかもしれない。

 

もしかすると、旅行は名所巡りとか新しいところに行こうというのが通説になってるのは旅行業界のマーケティングの成果だったりするんだろうか。バレンタインデーや恵方巻きが流行したのと同じように。

ゲームで例えるなら簡単そうだ。ゲームは任天堂やアニメ、漫画作品がメインではない。たしかに売上は上位だろうが、もっと幅広い。インディーゲームだってあるし、自分でゲームを作ることもできる。フリーゲームを楽しむこともできるし、スマホだってある。

 

ひょっとして、「あれやるべき」「これが主流である」…そういうのは案外、声のでかい人やマーケティングの影響が大きいのかもしれない。この年になってようやく世間と離れられるようになったのか。

理屈じゃわかっていたはずなのだが、まだまだ踊らされていたということか。
名所の桜も近所の桜も、どっちだっていいし、楽しみ方もそれぞれ。
世間に惑わされず、自分なりに楽しさを見つけて過ごしたい。