かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

悲観的に備え、楽観的に行動

春のいい景色を。

久々に運転している最中、いろんなことに神経質になりすぎたかなと思う。
運転中に周囲が気になりすぎる、車速が気になりすぎる。
ガンガン煽られるし、抜かされるし、警察はいるし…


イライラしていた。こっちは気をたくさん使ってるのに、と。
気持ちよく走るなんてもってのほか、安全運転第一。
飛び出しがないかなど、普段よりも数倍気を使って疲れてしまった。

 

 

もちろん安全運転には「かもしれない」運転が大事だ。
いつでも気を配るべきだし、神経質であることは重要である。
一方で、それによってイライラしすぎると、逆に安全じゃなくなる。
イライラで頭が一杯で、周囲に気を配れなくなるわけだ。本末転倒である。

 

結局、ある程度楽しみつつ、楽観的に行動するのが大事なんだなと思った。
人生も同じで、悲観的かつ神経質に過ごすと世間は息苦しくて仕方ない。
いろんな人生の選択肢も、自分の好きなように選べなくなってしまう。
なにより楽しめてないなら人生を生きる意味がなくなる。

教習所では法律を守ること、ルールを守ることをきっちり教えてくれる。
そういえばもう一つ、言ってたことがある。
運転に常に余裕を持つことだ。楽しむこと、までは言ってなかったと思うが。


安全には気を使いつつも、余裕を持つ。それは実は難しいことを言ってる気がする。
安全に配慮することを重視する場合、余裕なんて割けないのではないか。
脳のリソースがあるとき、100%安全に配慮すべきではないか…
一方でそんなことはできやしないというのはすぐわかる。
また、結局人間の認知で100%安全に配慮しても、漏れは必ず発生する。

 

そういうとき、余裕を持たせることでとっさの判断をできるようにする。
体調を整え、気分を楽にしていることで対応できるのかもしれない。

神経質になってイライラしながら安全に配慮している人間が、果たして緊急時にとっさの対応をとれるのか。身体が緊張している状態とある程度力を抜いてリラックスしている状態でのとっさの対応は、たぶんリラックスしているほうがいいんだろうなと思う。

 

運転前に車両の点検を行い、身体の調子を整え、心を落ち着かせ、リラックスさせる。
運転時に注意することを思い浮かべつつ、ある程度楽しむ。

準備段階、身体の調子について悲観的に備えつつ、いざ始まったら楽観的に過ごす。
けどその楽観も結局は備えの一部として、緊急時には対応できるように構えておく。

一言で言えば「バランス」なんだろうなと思う。極端に「安全」ばかり考えても肩肘張っててうまく動けなくなる。なによりそれなら運転しない方がいい。安全だから。

 

運転するなら配慮はしつつも少しは楽しめる余裕を持って行動せよ、ということなのだろう。うーん、運転技術においてまだまだ未熟だったな、と思う。反省したい。